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はやぶさ16号

駅前の喫茶店を出て新幹線の中で飲むビールを買いにコンビニに入った。
銘柄は決まっていたけど隣のサラリーマンが陳列棚の前で悩んでいたので、自分も横のジュースの陳列棚の前でコーヒーで火傷した舌を動かしながら悩んでいる振りをした。


この人も同じ新幹線に乗るのだろうか。
どこまで行くのだろうか。
どんな仕事をしているんだろうか。

そんなことを考えているとサラリーマンは立ち去り、いよいよ自分の番だ。
予め選んでおいたサラミを持った手で500mlの缶ビールを素早く手に取った。


2023年3月31日 10時17分 八戸発 東京行き
5年勤めた自衛隊を退職し、上京するためだった。
とにかく苦しかった。言葉にできないやるせなさを毎日抱えていた。

大切な人も傷つけた。

それでも1人でよく頑張ったと思う。
よく逃げずに戦ってきたと思う。
今日くらいは自分のこと褒めてあげようと思う。
そんな気持ちで缶ビールを開けた。

車内ではMOROHAを聴いた。
今までのことをたくさん思い出すかと思っていたけど、不思議にも今日の出来事しか浮かばなかった。


送った荷物の配送料を余分に頂いてしまったと売店のおばちゃんがお金を返しにきてくれたこと。

「頑張ってね。これ新幹線の中で食べてね。」

と、エプロンの左のポケットからじゃがりこを渡してくれたこと。
これから住む街にそのおばちゃんが昔住んでいたこと。
書いてて思い出したが、サラミを買ってしまって申し訳ない。

駅までのタクシーの運転手が何も喋らずにいてくれたこと。
パンチパーマがよく似合う渋いおっちゃんだったこと。

話したいことはたくさんあったけど、結局最後も忙しそうな振りをして目も合わせてくれなかったこと。
彼女はいつもそうだった。
悲しいとき、辛いとき頑張る癖があった。
なんとか気を紛らわそうとしているようだった。

それでもいいと思った。
全部これで良かったと自分に言い聞かせた。

頑張ろうと思った。
この気持ちを持ち続けようと思った。
忘れたら終わりだと思った。

新幹線はいつの間にか大宮を過ぎていた。
車窓に目をやると桜が綺麗だった。
そういえば初めて桜が綺麗だと思ったのも自衛隊に入隊したときだった。

はやぶさ16号はまもなく東京に着く。

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