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のど飴が「喉の痛みに効く」時代から「漢方」として扱われる時代になっています。

先日、ふとドラッグストアに寄ると「養命酒クロモジのど飴」という商品が売られていた。

のど飴自体はスーパーやコンビニなどでよく見かけるので違和感はないのだが、それよりも一つ目についた文字があった。
『養命酒』である。

養命酒と言えば「薬用養命酒」が有名で、商品自体を飲んだことがなくてもCMで名前だけは聞いたことがあるだろう。
私自身も養命酒を飲んだことがないため、漠然と「健康に良いお酒」というイメージを持っていた。

その養命酒がのど飴を販売している。不可思議な現象である。

のど飴と言えば龍角散やカンロ、UHA味覚糖などが有名で、その他販売している会社の多くはキャンディメーカーである。そこに突然参入した養命酒…

気になりすぎる。

あまりにも疑問が膨れ上がってしまったため、各社のサイトから、
なぜ養命酒がのど飴を販売したか」「現在ののど飴業界の内訳」を調べ、まとめていきたい。


のど飴の歴史

まず、そもそものど飴はどうやってできたのかという前提から話さなければならないだろう。でなければのど飴を販売したかなどを語れない。

喉に直接効く薬の元祖「龍角散」

のど飴、というよりかはのどへ直接的な作用をもたらすことを目的とした薬の原型は「龍角散」にある。

江戸時代中頃に秋田藩の御典医(藩専属のトップドクター一家)として務めていた藤井玄淵が漢方薬としての龍角散の原型を作り、その子供である玄信が西洋医学の手法を取り入れ改良した。これが江戸時代末期まで藤井家の「家伝薬」としてその手法と共に言い伝えられていた。

その後、幕末の藩主・佐竹義堯が喘息の持病を持っていたため、御典医の藤井正亭治が長崎で蘭学を修めて、そこで学んだ製薬技法を家伝薬に落とし込み、喘息に特化した薬として確立した。そして、これを「龍角散」と名付けたのである。

明治時代に廃藩置県が行われたことから、佐竹義堯と共に江戸に住まいを移した藤井正亭治は一般薬として「龍角散」の販売を開始する。

明治26年(1893年)に後を継いだ藤井得三郎(初代)が微粉末状の製剤の開発に成功し、藤井得三郎商店を開業。これが後の龍角散株式会社になる。(ちなみにこの頃から現在の粉状の龍角散の製造手法が確立された)

龍角散の製法、粉状の元祖龍角散

※ちなみに藤井得三郎を初代としたのは、戦後まで屋号と同じように商店の代表は藤井得三郎を名乗っていたためである。4代目くらいまでいる。

のど飴の考え方を形作った「浅田飴」

明治20年(1887年)に堀内伊三郎という人物が、当時漢方の大家と謳われていた浅田宗伯に「御薬(おんくすり)さらし水飴」という水飴状の漢方薬の処方を譲り受けた。
これにはキキョウ、マオウ、カッコン(葛根湯の元になる植物)など滋養強壮の他に心肺機能維持に効く生薬を煮詰めており、伊三郎は「飴状にして舐められる漢方薬」という触れ込みで市販した。

その後伊三郎の息子の伊太郎が「浅田飴」と改称し、再販したことから現在まで続く浅田飴の基礎ができた。
浅田飴は「良薬にして口に甘し」をモットーとしており、現在まで続くのど飴の考え方の根源となっている。

元祖浅田飴

”のど飴”という言葉を作った「カンロ」

昭和30年(1955年)に「カンロ飴」という一粒一粒を包装して、まとめてパッケージングした商品を出した「宮本製菓株式会社」はカンロ飴のヒットにより、社名を「カンロ株式会社」とした。

その後、昭和56年(1981年)に「カンロ健康のど飴」を発売したカンロだが、そのきっかけは社長が風邪をひいた時に医者に言われた一言だったという。

お宅のカンロ飴や黒飴を舐めていれば治るよ
この一言で、喉に優しい飴を模索し始めた社長は「喉に効く成分を配合しながら美味しい飴」の開発に乗り出し、完成したのが「健康のど飴」だった。

これが、初めて喉に効く飴に「のど飴」という商品名が使われた瞬間だという。

初代カンロ健康のど飴 (時代を感じる)

以上3社の発明から現在につながるのど飴が誕生した。


進化するのど飴

養命酒がのど飴業界に参入した経緯を語る前に、のど飴が医薬品の側面から大きく変化した経緯を説明したい。
のど飴はその利便性と甘さから観光業や製薬業にも影響を与えているが、今回今年初めに起こった中国人の龍角散爆買いのきっかけであるインバウンド政策と、のど飴がどのように健康志向になっていったかを取り上げる。

中国の大気汚染の救い手・龍角散

日本では区分として「食品」「医薬品」「医薬部外品」と三種類ののど飴があり、浅田飴や第一三共ヘルスケアなどが医薬品、医薬部外品としてののど飴を製造している(のど飴ではないが、粉末状の龍角散も第3類医薬品)。
昔からお菓子と同じように売られていたのど飴は「食品」の部類で表向きには喉を潤す効果はあっても、明確に喉の病気を治す効果はないとされている。

例:浅田飴ののど飴区分

日本人には美味しいキャンディの枠を出ない食品としてののど飴だが、そのような分類もきちんとしておらず、食品としてののど飴もあまり普及していない国だとその感覚は変わる。

その一例が”中国”だ。

そんな中国が「のど飴バブル」を牽引する存在となった。
その理由として挙げられるのが「中国の大気汚染とインバウンド需要、そして日本の観光戦略」である。

中国ではエネルギー創出に主に石炭を用いており、中国産の石炭には硫黄が多く含まれていたことから、人体に有害な微粒子(PM2.5など)の濃度が慢性的に高くなっていた。
また、2000年代に経済が安定したこともあり、自動車保有率が急激に高くなったことで一挙に排出される排気ガスも含め、特に北京市内では急激な大気汚染によって、肺・気管支機能に障害や喘息などの病気を持つ人が急激に増えていた。

2017年当時。この頃から中国政府も「ヤバいかも」と思い始めたのか対策に乗り出す

化学工場が乱立し、日本の高度経済成長期を思わせる光化学スモッグが舞う光景は当時のニュースを見ていた日本人にも馴染み深かっただろう。

中国がそのような状況の中で、日本ではのど飴に対してあるアプローチがされていた。
それは観光庁が実施した「クールジャパン戦略」である。

「クールジャパン」というと、アニメなどのサブカルチャーの印象が強いが、海外から日本の医薬品への信頼が厚いことに目をつけた観光庁は医薬品へのタックスフリーの実施も内容に組み込んでいた。
この医薬品の枠組みにのど飴も入っていたのである。

観光庁は以前よりアメリカや台湾、香港などにのど飴や喉薬の共同販売を実施していた龍角散株式会社へ協力を依頼し、広告代理店で配布するフリーペーパー内での広告など訪日外国人への販促を積極的に行った。2010年(平成21年)のことである。↓(龍角散の強かな経営戦略が伺える)

広告や観光をする中でのど飴の存在を知った中国人が、龍角散を購入する中で徐々にある噂が流れるようになる。それは「龍角散は喉の痛みだけでなく、喘息などの病気にも効く”神薬"だ」というものだった。
こうなると中国人がとる行動は一つである。「爆買い」だ。

さらに、2013年(平成24年)頃に中国では不動産バブルが起きていたため、お金のある中国人が際限なくお土産を買う(爆買い)のも相まって、ここからインバウンド需要という言葉が一般的になっていく。

日本の「クールジャパン戦略」と中国の「大気汚染・インバウンド需要」が合致した結果、日本ののど飴(厳密に言うと龍角散)は中国人に信頼された。
この機を逃さなかった龍角散は中国にも製造工場を作るなどして、販売数や売上を大きく伸ばし、龍角散は中国でもポピュラーなのど飴となった。

※もちろん偽物(”龍の散”と言うらしい)が作られて、ネットに疎い中国人には売れたそうだ。だが全然喉に効かなかったらしい。迷惑がった中国人に文句を言われた龍角散がわざわざ裁判を起こして当然勝訴した。

2023年(令和5年)初頭にゼロコロナ政策が解除された中国で、堰を切ったように来日した中国人がこぞって家族に送るためなどの理由で龍角散を購入していたのは記憶に新しいだろう。そのきっかけが上記の「中国の大気汚染とインバウンドに応えた日本の観光戦略」だったのである。

健康志向が深化したのど飴

海外への進出も目覚ましいのど飴業界だが、この「喉に効く」が拡大解釈され、「口の中で飴が溶け出し、様々な抗体や健康成分などが体に入るようになる、且つ薬の感覚なく口の中で楽しめるようになる」という考え方が主流になっていく。

専門家の話では大体2017年(平成29年)頃からとされており、そのきっかけとなったのは、当時猛威を奮っていたインフルエンザウイルスであったとされる。この頃日用品の中で大きく売上シェアを伸ばしていたのが消毒液(アルコール)と食品のど飴だった。

そのような状況の中、大正製薬が製造した「喉にヴィックス♪」でお馴染みの「ヴィックスのど飴 シトラスミックス」が発売され、これがのど飴に健康的な付加価値をつけ発売されたのど飴の元祖であると専門家は考えている。
製薬会社が食品としての””のど飴””に、健康になるための機能を備えたものを販売したと言うニュースはのど飴業界の活性化につながった。

ヴィックスのど飴 シトラスミックス

ここから従来の喉を潤すことを目的としてのど飴を作っていたキャンディメーカー各社は、こぞって様々な付加価値をつけたのど飴を販売するようになり、「マヌカハニー」「キシリトール」など従来ののど飴にはない配合を試みるようになった。

カンロ たたかうマヌカハニー
マヌカハニーのど飴はカンロ以外にも浅田飴など様々なメーカーが出している。

その流れは、2019年(平成31年・令和元年)頃には食品加工業以外のメーカーにも波及し、今回お題として挙げた養命酒製造やドモホルンリンクル、イソジンなどの企業ものど飴製造に乗り出すこととなった。


のど飴に強みを見出した養命酒

きっかけ

いよいよ本題に入るが、まずはなぜ養命酒はのど飴業界に参画しようとしたかについて語りたい。

元々健康食品や健康飲料のメーカーであった養命酒は、のど飴以前に養命酒を始めとした健康志向の酒類、ドリンク、サプリメントの販売を行なっていた。
全く売れ行きが悪いわけではなく、スーパーなどでも一目見たことがある商品ばかりである。↓(商品ラインナップ)

それではなぜのど飴製造を行うことになったかというと、「研究していたクロモジをエキスにして形にするのに一番適していたのがのど飴だったから」と言うことである。
のど飴を作ろうとして作ったわけではないそうだ。

そもそもクロモジとは何かと言う話なのだが、養命酒に多く含まれている「ウショウ」と言う生薬の原料植物であるという。

1つ目に日本固有の植物で北海道から九州まで日本の各地に自生していること。健康茶や楊枝の素材として古くから親しまれてきました。また人の手で整備された、適度な陽当たりの森林に生息しやすいため、クロモジを活用しようとすることが里山保全につながると考えています。
2つ目には「爽やかな森の香り」。クロモジの精油には心身のリフレッシュ・リラックス効果が期待できます。
3つ目にポリフェノールなどの有用な成分を含んでいる健康素材であることです。

養命酒製造 商品開発グループ 松村さん

上記が現在養命酒が研究している範囲でわかっているクロモジの効用だそうだ。

クロモジの花

この引用にある3つ目のポリフェノール成分が含有されていると言う部分に目をつけた養命酒製造は手軽にポリフェノールが取れるようにのど飴という形にしたというのが真相である。

乗り越えた「味」という壁

クロモジを主成分としてのど飴を作ることになった養命酒だが、一番の壁にぶつかった。それは味である。

養命酒を飲んだ方は読者諸氏にいらっしゃるだろうか。はっきり言って「甘くない」。滋養強壮を目的とした飲み物なので当たり前なのだが、これを飴にするとなるとそのままではおそらく手にとってもらえないだろう。

そこで、養命酒製造は日進乳業という愛知県のメーカーに製造を依頼し、双方で「どうすれば美味しくなるか」という試行錯誤を行った。養命酒に配合されている健康成分も減らすわけにいかないが、かといって苦い飴を作るわけにもいかない。インタビューを見る限りかなり難しい課題だったようである。(↓インタビュー記事)

https://www.ame-candy-lab.com/oem-odm/performance/youmeishu/

結果として、養命酒の社内で「美味しい」という一定の評価が出たため、販売に踏み切った。もちろん顧客からの評判も上々で、実際筆者も舐めてみたがクセになる甘さと養命酒そのものを感じさせる微細な苦さが相まって全く新しい味になっている。

養命酒製造としては、養命酒が年齢層を高く設定している商品であるため、クロモジのど飴で若い層に養命酒に関する商品を手にとってもらい、後々の養命酒そのものの顧客としていくというマーケティングとしての目的があるようだ。

現在はその目論見がうまくいっているという評価で間違いないだろう。


まとめ

結論として、のど飴の変化に関して養命酒製造として何か影響を及ぼしたいなどの目的はなく、ただ「自社で研究しているものの新しい形を模索する中にのど飴があった」ようである。

ここまでのど飴のことについて調べてきた結果が「手段としてののど飴」であったことに少し拍子抜けするような気もするが、それだけのど飴が手軽なものであるということの証左でもあるだろう。

現在、養命酒クロモジのど飴は新しい味を模索しているらしい。これからどんどん出てくる進化したのど飴を堪能しつつ、新しい健康のど飴を楽しみに待っていようと思う。













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