【高知旅行記 #1】台風と忘れ物とよさこい
きっかけ
「よさこいやる?」
2022年9月2日に、今でも連絡をとっている大学の同級生からこんなLINEが来た。
続くコロナ禍で旅をする元気もなくなってしまっていたためどこかに行く予定はなかったのだが、どうせならと思いコロナ前最後に旅行した高知に、コロナ禍で最初に行こうと考えたのだ。
だが、彼女からのLINEは「よさこいやる?」である。
つまり踊るかどうかを聞かれていた。
さすがに1から踊りを覚えるのも大変な上に、来年のことは来年の自分に聞かないとわからない。
そのためこの時は保留にして、「行けたら行きたい」という一周回って行かないと思われそうな返信をしたのだった。
準備
「高知に行く」という返信をしたのは、翌年の2月7日だった。
半年で踊りを覚えるのも大変なので観に行くことだけ伝え、8月10日と8月11日に高知に行くことだけが決まった。
そうなると宿をとったり移動手段を考えなければならない。
私はコロナ禍前に高知に旅行したのだが、その時よさこい期間中の高知の混雑を完全にナメてかかっていた。一週間前に宿や高知に向かう便をとった結果、、、
宿:徳島の山奥(大手旅行サイトで見つからずAirbnbを使った)
交通:新幹線とJR、高知市内だけ土電(土佐電鉄)。
回ったところ:高知城、ひろめ市場、桂浜
と、見るからに規模が小さく不便な旅行となった。
そのため、今回は早めに宿などをとろうと思い、6月中旬に宿探し、レンタカー手配などを行った。
それでも、高知市内に宿はとれず四万十まで移動することになり、レンタカーもBluetooth機能がない軽しか借りられなかった。
ここで、よさこいに誘ってくれた同級生の言葉を思いだした。
「よさこいは終わった瞬間来年の日程も決まるから、早い人は前年の夏にはもう宿や飛行機をとってる。だから気をつけてね」
いくら日程が早めに決まるとは言え、よさこいガチ勢の行動には恐怖を感じる。来年の予定なんかわかるか。
とはいえ、去年とは違い高知県内に宿がとれ、レンタカーも予約できたのでよさこいだけではない高知観光が今年は可能になった。
1日目(8月10日)
ドタバタ道中
台風6号が沖縄・九州であおり運転とも思えるような超低速・蛇行を繰り返している中、近くにある四国も雨だった。さて、よさこいは開催されるのだろうか。
しかし、出発当日の私はそんなことを考える暇もなく、慌ただしくしていた。
理由はただ一つ。
『久しぶりの飛行機なのでいつまでにチェックインすれば良いかわからない』
12時45分発のジェットスターに搭乗する予定だったのだが、何を思ったか1時間30分前に着いていればなんとかなるという根拠のない決意だけを固めて、なんと9時30分に家を出た。
空港までの所要時間は40分。今考えるとあまりにも早い。
当然ながら搭乗口に向かったのは11時10分頃。早い、早すぎる。
そのため、成田空港第3ターミナルにいち早く到着した私は本を読んだり飛行機の写真を撮りつつ過ごしていた。そんななか事件は起こった。
12時30分に搭乗の案内が放送されて向かう時、用意していたはずの搭乗券が見当たらなくなっていた。
保安検査場で確認したためおそらくゲート前で失くしたと思われるが、これがないと飛行機に乗れない。ここまで来て諦めるわけにはいかない。
広いゲート前を隈無く探してみた。しかし見当たらない。職員の方にチケットを失くした旨を伝えて何とかしてもらおうとも考えたが、仕事を増やすのは忍びない。
というわけで搭乗時間ギリギリまで探した。
あと1分。12時43分になる頃奇跡的に見つかった。何度もアナウンスで名前が呼ばれていて恥ずかしさも頂点に達する頃だった。
どこにあったか。飛行機を撮るために陣取っていたスペースの横にある空調の下だった。
あまりにも慌てていたため写真がないが、普通に探していたら見つからない場所だった。
しかし思い返してみると、私は不用意にスマホと一緒に搭乗券をズボンのポケットに入れていた。スマホをポケットから取り出す際一緒に取り出してしまい、運悪く空調の下の隙間にすっぽり収納されたというわけだ。
自分の不用心さを嘆いた。
しかし、それでも見つけられはしたため、無事に搭乗ができた。
トラブルはこれで終わり・・・の、はずだった。
土砂降りと忘れ物
約1時間30分のフライトで到着した高知龍馬空港は土砂降りの雨だった。
レンタカーを借りるため店舗に向かうワンボックスカーに乗り込むのだが、その道中屋根がある道を通っていてもずぶ濡れになった。
そんなずぶ濡れの状態でもなんとかレンタカーを借りることができた。車種の指定はしていなかったため、どの車に乗れるのかこの時点で判明した。スバルのインプレッサである。
普段乗っている車が約20年ものの車であるため、全ての機能に感動していた。
そこでふと気づいてしまった。高知県内を高速道路で移動することは想定していた。その時スムーズに移動するためにETCが必要であることを前日まで覚えていたはずである。
しかし、荷物の中にETCカードがなかった・・・
到着してから気付いたのは痛恨のミスだがもうどうしようもない。
よさこい
もうここまでてんやわんやだと不思議と落ち着いてくるもので、瞬時に切り替えることができた。そしてよさこいを見るために高知市に向かった。
幸い、南国市から高知市までは無料の自動車専用道路(高知東部自動車道(国道55号))が通っているため、スムーズに行くことができた。
高知東部自動車道は、現在高知龍馬空港ICから高知ICまでの約13kmしか通っておらず、南国市から高知市までの距離の短さも同時に感じる。
さらに高知市は南国市と違い空が曇っている程度でよさこいは通常通り開催されていた。空港とレンタカーで捨てた運が突然戻ってきたようである。
よさこい自体好きなので全部の団体を見たいが旅館のチェックインも残っているため、まずは同級生が入っている団体を見つけることから始めた。高知市街の広い範囲で多数の団体が踊っている中どう見つけようか悩みつつ歩を進めた。
ものの5分足らずで見つかった。また捨てた運が戻って来たようである。もう捨てた運がない。新たな悩みの種が生まれた。
経緯としては、下記の高知城演舞場で張っていたのだが見つからないので、近くにあった帯屋町演舞場に移動したらすぐ見つかった。
1演舞が10分もなく小休止を挟みながら各会場を回るため、必然的に演舞場所が近くなるようだ。
ちなみに・・・ざっくりと私が把握している会場だけで、
・高知駅前演舞場
・追手筋本部演舞場
・帯屋町演舞場
・中央公園競演場
・梅ノ辻競演場
・菜園場競演場
・はりまや橋演舞場
・秦演舞場
・万々競演場
・上町競演場
・升形競演場
・愛宕競演場
・追手筋競演場
・高知城演舞場
・柳町演舞場
と15の演舞場所があった。これを大体の団体は2 日間かけて全て周るらしい。話を聞いただけで疲れそうだ。
よさこいは商店街などを練り歩く演舞と舞台上で踊る固定演舞がある。練り歩く会場は「競演場」、固定演舞の会場は「演舞場」と呼び方を変え見せ方を区別しているらしい(※なぜか中央公園は固定なのに競演場、帯屋町は練り歩くのに演舞場になっている。地元の人に話を聞くと「例外」なんだそうだ。理由は?)。
また、固定演舞は広い会場で踊るためあまり気にならないが、練り歩く演舞はどの団体もかなり音がでかい。
映画の最初に感じる「音でか!」という感覚がずっと続いている感覚である。
そんな中商店街などを練り歩いているため、営業しているお店は迷惑するのではないかと思うが、全く気にする素振りもなく働いている。
それだけ市民権を得ているということでもあり、よさこいが高知の一大風物詩になっていることの証左でもあった。
ちなみによさこいは戦後生まれた踊りであり、その目的が復興を盛り上げることにあったため、かなり自由度が高い。
鳴子を用いる
「よさこい節」を入れる
この二つが守られていればどんな曲構成や踊り、団体のコンセプトでも問題ないのだ。
これがよさこいの多様性にもつながっていると考えると、伝統芸能のあり方に一石を投じるとも思う。
さらに北海道でみんなが自由に参加できる大きな催し物を開催したいと考えたよさこいソーランの主催者が、高知に視察に来てよさこいを取り入れたのも理解できる。
そして、高知城演舞場、帯屋町演舞場、中央公園競演場の三カ所で同級生のよさこいとその他の団体のよさこいを見て約2時間ほどよさこいを楽しんだ。
ポンコツ男一代記 〜明日を夢見て〜
よさこいを堪能した私は、高知城や桂浜など高知市内の主要な観光地を巡ろうと思っていたが、宿の住所をセッティングしたカーナビが驚きの所要時間を算出した。
『2時間30分』
ちなみに高速道路や自動車専用道路を用いてである。
よさこいを見終わったのが18時頃なので、単純計算で20時30分。道路の混み具合などを考えると21時30分か22時頃に到着する見込みだった。
それだけ四万十は高知市から遠い。高知市内を周るどころではなくなった。
普通に考えれば、「そこに宿をとったのだから当然の話」となるのだが、絶望していたのは私の事前調査の甘さについてである。
私は宿をとった場所は「四万十である」ということは認識していた。
しかし「四万十」という自治体は高知県内に二カ所ある。
『四万十市』と『四万十町』である。
私は高知市から宿までの距離を正確に見ておらず、なんと「高知市から四万十町までの所要時間を調べていた」のである。
どれだけ違うかというと、四万十町と四万十市は役場基準で約50km離れている。もちろん四万十市の方が西寄りで高知市からより離れている。
そして高知市から四万十町までは約60km、高知市から四万十市までは約110km。お分かりいただけただろうか。言葉通りのホラーである。
長々と説明したが、結果として「1時間強で着くはずだった1日目の最終目的地(宿)に2時間30分かけて向かうことになった」というわけである。
絶望しながらもなんとか四万十市の宿まで走破した。宿に着く頃には30曲入っている携帯のプレイリストが2周していた。
当たり前だが、夜なので何も見えない。疲れた体に最後の鞭を打ち、チェックインと室内のシャワーで簡単に汗を流し寝る準備をした。宿に着いたという感慨などなかった。
明日は今日よりも良い日になるよね?と、存在しない私のハム太郎に向けて絶望感たっぷりに発しながら眠りについた。
次回、二日目「沈下橋ガチ勢」!お楽しみに!!
文字数が多くなったので、1日ごとに記事を分けることにしました。続けて書くのが面倒くさくなったわけじゃないです。
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