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⑥ wall cry to cry

あの日見た壁の名前を僕達はまだ知らない

  お久しぶりです、大変遅れました かべです!
GWが一瞬で溶けて行きましたねー
もうほんと、それはもう一瞬で…
ブログの更新が遅れたのはその辺が
理由なんですが、まぁいいでしょう笑

 さてさて、今回は某大学校に赴いてからの話
どこまで話していいか分かりませんし
もしかしたら検閲が入りそうな内容です。
なので、いつも以上に主観的な
私の感じていたことを重点的に
お話できたらいいなと思います!!


入校までの日々

 これはもうさすがに時効だと思うんですが
わたし、高校時代バイトしておりました。
受験も終わって、寮も解約されて
住む場所がないので、バイトをして
なんとか生を紡いでおりました。

 前回お話してないかもしれませんが、
高3の最後の1年間は、
寮生活をしておりました。
理由は、姉が大学に行ったので父と二人暮らし
になってしまうため、ですね‎( ꒪⌓꒪)

 だからといって、高2の2月に
家を売って、高校の寮を自力で契約させるって
まじ…ほんともう…はぁ……。

 そこから、全国を転々としながら
最終的に新潟から、
横須賀まで荷物ひとつ抱えて
入校日を迎えたと記憶しています。

経験値を詰んだって話

 学校内での話はここでは、やめておきます。
守秘義務あるので怒られたくないです笑
というわけで、人間関係とか
プレゼンや客人対応とかを学んだ話を
大まかに出来たらいいなと思います(  '꒳​'   )

 基本的に、年功序列の徹底的な管理が
行われているんですよ…
先輩の言うことは絶対っていうか
ほんと、超規律が厳しいんですよね苦笑
今思うと、自衛官の方々がピシッと
しているのは、私生活から改められるから
なのかなぁと思ったりします(  '꒳​'   )

 結論から行きましょうね。
1番の学びは 
自分を守れないやつは他人も守れない って
ことでしょうか

 私は自己犠牲の精神で生きてます。
自分が損をしても、組織やチーム・仲間が
得をするならそれでいいじゃん
って考え方です。
これが、合わなかったんです。

 周りには使い潰され、自分は誰にも頼れず、
せこせことハリボテで見栄えよく
自分の成果として出していました。

「お前は何もなしていない」
「自分のことすら出来ないのに、他人のためになりたいなんて(失笑)」
「で?誰の役に立てたの? 結局今の自分はそれならここで何を得たの?」
苦しいのでこの辺にしときますか笑

まぁこんなことを散々言われて
心が病んで、辞めてしまったんですがね笑
身体も壊しましたし、心も壊れましたし
家族からも、扶養をぬけたのに
なんで面倒を見る義理があるんだ
なんて言われたりしましたね。
言葉キツイのすいません(´・ω・`)

 闇が深いのはこの辺にしておいて、
まぁ一つ目の大学で、社会経験を存分に
人の怖さと人の弱さ
を目の当たりにしてきましたって話です

前が見えないって話

 そして、結局学費も出してもらえて
今はこうして薬学部も6年生になったわけです
ありがたい話ですね
でも、やっぱり不安なんです。

 また、自分が良かれと思っても上手くいかず
もがけど何も出来なくて、
責められることからは逃げて、
結果として、何も手に残らず
虚無感と喪失感に苛まれるのは嫌なんです。

 不安で、不明瞭で、不透明で
皆同じなのかもしれませんが、
その先にあるものが
経験したことかもしれないことが怖くて
時々動けなくなってしまいます。


 ほんと、女々しいですね( 。・-・。`)
今日はここで終わりにしようかと思います。
シリアスなままで
じんわりと悲しい気持ちを抱えて、また
楽しいGW明けへと勤しみましょう‎( ꒪⌓꒪)

  1500文字くらい!
どうでしょう? 長かったかな?
前回の小言が人気だったので
6.5も書くつもりです!
次は、Twitterとかdiscordとかのせてお話
募集しようかと思ってます笑

 ではでは、今日もお疲れ様でした♪

かべでしたーー!✩.*˚

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