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腐れ縁の果て、剃刀、桜、鏡。岡田茉莉子主演「秋津温泉」

「映画に愛された小説家」藤原審爾原作、藤原自身にも重なる境遇の、両親のない17歳の少年が伯母に連れられて山奥の秋津の温泉宿を訪れ3年後、その5年後、また8年後と繰り返し秋津を訪れながらそこで出会った女性と妻子を持つ身となっていく主人公の関わりを叙情的に描いた小説「秋津温泉」の映画化(監督:吉田喜重)より。当時の松竹の看板女優:岡田茉莉子が、自身の出演作品100作記念として企画・衣装を手掛けた作品でもある。

本作、吉田喜重が依頼を岡田茉莉子から受け、脚本を自ら書くことと原作に忠実にならない可能性を認めることを条件に引き受けた。
意気投合した2人が撮影中に恋愛関係になり1964年に結婚した後日談もあってか、吉田喜重は本作において、ひたすら岡田茉莉子を注視し続ける。目の力と優しさ、濃厚な口元、うなじと仕草、髪をアップにした着物姿を、意識して切り取った「鏡」や「遮蔽物」と対比させる。
それが岡田茉莉子の美しさ、そのものを引き立てる。

話の筋立てがいささか古臭いのも差し引いても、映像美一つで、十分おつりが返ってくる。

1945年終戦間近の秋津温泉に結核で肺を病んでいる1人の作家志望の青年・周作(長門裕之)がやってくる。敗色濃厚な戦時中の温泉街は、羽振りの良い客などいるはずもなく、景気が悪い。客といえば、わずかな手当で生気を養うヒステリックな兵隊さんくらいなものだ。
そこで甲斐甲斐しく看病してくれる17歳の娘・新子(岡田茉莉子)の姿に生きる勇気を見いだす周作。温泉街で二人は、8月15日を共に迎える。

数年が経った。まだ戦後の混乱は続いている。
再び秋津温泉を訪れた周作は、人生に落胆し、自己憐憫と自己嫌悪に苛まれている。青年ウェルテルらしい悩みの果て、新子に「一緒に死んでくれ」と言う。口説き文句は

8月15日新子さんは泣いたね?僕は人間てあんなに泣けるもんだと思わなかった。あの時以来僕はどうしても生きたいと思った。

の一言。汚れている自分を美しいと見出だしてくれた、この青年のために、新子は一緒に死ぬ決意をする。次また逢う日に、絶対に。


さらに数年が経った。日本は復興の足掛かりを得つつある。景気の兆しもよくなりつつある。
周作が再び秋津温泉にやってくる:パリッとした身なりで。今度こそ。新子は周作に「一緒に死んで」と頼む。しかし彼は軽薄にも、妻を顧みず職場の尻の軽い売店娘と浮気し恋愛のもつれの中にうじうじしている男に成り下がっていた。新子のことなどまるで眼中に無いようだ。かつて新子に垣間見せた恋に燃え上がる情熱などというものも、とうに消え失せている。

クズな男に惑わされ、クズな男によって都合がいいように滅びていく女性のドラマ。くどく押し付けてくる林光の音楽。折り目正しくエログロも存在しない昭和日本的な文芸映画。逆に言えば、古臭さも否めない本作。
正直、当時松竹ヌーヴェルヴァーグを代表する吉田喜重の「引き算を重視した」映像感覚だからこそ、このじめじめした展開のメロドラマも、割と見られるレベルで仕上がったというべきか。

それでも、岡田茉莉子が

あたし、後悔するとか諦めるとか、そんなつらい思いするくらいなら、死んだ方がよっぽどまし。

という劇中の台詞通り、女が死んでみせる時に、本作の印象は百八十度裏返る。

すなわち、虚仮て魂消て憑かれた新子は、つやま駅から飛び出して町を歩き、すたすた先を歩く周作の姿を認めるや否や、剃刀で手首を切り、そのまま河に手首を浸し、死を選ぶ。
この間、流れるようなカメラワークが、桜の樹の下、桜舞い散る中の死というものを見つめ続ける。

周作の思うツボに生きてしまった女の、決然とした死にざま。
岡田茉莉子はこの「死」を演じるために、本作を企画したのではないかと思えるほど、美しく不気味で意味深だ。

■スタッフ
監督・脚本 : 吉田喜重
製作 : 白井昌夫 / 岡田茉莉子
原作 : 藤原審爾
撮影: 成島東一郎
美術 : 浜田辰雄
音楽 : 林光

■キャスト
岡田茉莉子(新子)
長門裕之(河本周作)
宇野重吉(松宮謙吉)
東野英治郎(船若寺住職)



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