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何度目かの?千と千尋

おとといのつぶやきにも書きましたが、先週末は演奏旅行で新潟に行っていて、山梨までの帰りの道中長いからと、バスの中で千と千尋の神隠しを見ました。
千と千尋の神隠しは、封切りされた時はまだ高校生で、最初見たときは「何がなんやら?(; ̄Д ̄)?」という感じでした。が!

ジブリアニメって、大人になってから見ると感想が変わりますね~👀

まず、初めて見たときは妖怪やら不思議の街のビジュアルに目を取られてストーリーがなかなか入ってきませんでしたが、最初は「やだ、こんな田舎に住むなんて😬」とわがままを言ったり、不思議の街に来てからもあいさつ一つもちゃんとできずに「アンタ、お世話になりますの一言も言えないわけ!?」と言われていた千尋が、銭湯(旅館?)の仕事を覚えていくうちに成長して、色々助けてもらって恩があるから、と、認め印を盗んでケガをしたハクに代わって自ら銭婆に謝罪に行って、と、人間として成長する物語なんですね。
釜爺の「わからんか?愛だよ、愛!」のセリフも、最初に見たときは男女の愛の事かと思っていました。(実際、「何で千がハクにそこまでするのか?」って質問に対してのセリフだし😅)
が、映画を見進めて行くと、「得体の知れない者は入れられないよ」と、正面玄関で入店拒否されて所在なさそうにしていたカオナシを中に入れてあげたり(後で大騒動になるのですが😅)、「僕はずっとここにいるんだ、外に出たら病気になっちゃうからって湯婆婆が言ってた」という坊に対して、「外に出ない方が病気になっちゃうよ!」と言い返し、銭婆の家に連れて行ったり、カオナシが飲み込んでしまった従業員を吐き出させたり(これは助けられた後で感謝されています)、と、色々と千尋の思いやりを感じさせる場面があって、「愛ってこういう事だよな」とふと思うのでした。
愛と聞いて男女の愛しか想像できなかったかつての私が恥ずかしいなぁ😓

他にも、「入野自由さんってこんな渋い声だっけ?」と思った事と、列車に乗って沼の底へ行く場面で、ネズミにされてしまった坊が外の景色を見ながら楽しそうに跳び跳ねる描写など、よく見るとコネタがあったり、夏木マリさんの声が湯婆婆と銭婆で少し出し方が違う事に気づいたり、大人になってから見ると色んな視点で楽しめますね。
☝️ちなみに、湯婆婆は喉を狭くしてがなるように話すのに対して、銭婆は深みのある声で落ち着いたトーンで話していた印象です

初めて見たときは、「トトロとか魔女宅の方が良くない?」なんて思っていたし、今回も思わず最後まで見てしまった、という感じでしたが、やっぱり評価が高い作品ってそれだけの魅力はあるんだなぁ。