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リラックスして食べる

 お年寄りなどの介護経験があって、ぼくに初めて食事の介助をしたヘルパーさんたちが口をそろえて訊ねることがあります。
「寝たままで、呑み込みがしんどくないですか?」

体調がよくなかったり、急いでいたりすると「大丈夫ですよ」ぐらいの省略した応えを返します。

 逆に、体調が良かったり、ゆっくり話すゆとりがあったりすると、丁寧にリラックスした体勢だということを説明するように心がけています。

 答えの基本は、いたって単純な気がしています。
 ぼくはいつも書いているように、生まれたときから脳性まひという障害とおつき合いしてきました。
 だから、物心ついたころから寝たままで美味しいものを味わってきたわけです。
 ぼくにとっては、いちばん慣れたスタイルなんです。

 さて、寝たきり状態は、社会生活を送る上では予想以上の支障を来たすものでした。あまい見通しでしたが、三カ月ほどの間に車いすに乗ることにこれほど苦労するようになるとは思ってもいませんでした。
 言い換えれば、ぼくにとって、ベッドに寝た状態は一切の痛みも抱えこむことはなかったし、十年あまり前と比較しても、硬直はめったに現れませんでした。

 ということは、体を起こして食べるよりも安定したスタイルを維持できたし、裏を返せば、不必要な力を費やすことによってバランスが崩れたり、呼吸が乱れたりしてむせる頻度もグンと減少したわけです。

 社会全体の窮屈さからくる「圧」と「不安」が、コロナを引き金にしてぼくのライフスタイルを在宅中心に変えてしまったわけですが、もう一方で、まるで痛みを感じなかった寝たきり状態が、そこに拍車をかけてしまったと言えるかもしれません。
 以前は二~三日ヨコになっていただけで抜けるほど腰が悲鳴をあげたのに、筋力の低下と硬直の減少が理由と思われますが、寝たきり暮らしがすこしでも痛みを伴なっていれば、いまの状況とはまったく異なっていた気がします。
 ある意味で、痛みのない世界はぼくに「安住」をもたらしてしまったのかもしれません。

 こんな感じでリラックスして、ささいな痛みを抱えることもなく、食事をとることができるから、ぼくにとっては寝たままの状態がベストに近いわけです。

 ぼくの充足した食事の条件として、欠かせないアイテムがあります。
それは小型の低反発枕です。
コイツ(ベッドの上では膝裏にあてたクッションと並んで、友人ほどに愛着が湧いてきました)のかまし具合によって、呑み込みやすさが段違いに上下します。

 これまた、ある程度の経験値を持ったヘルパーさんは、すこし浅めに頭の高さを保持できるように、枕を入れようとしてくれます。
ところが、ぼくの場合はできるだけ首筋までしっかり入れる方が、ラクに呑みこむことができやすくなります。
枕が浅いと、上体を反らせる硬直が入りやすくなるのと、それに併せてアゴを引いた状態になり、誤嚥の危険性が高まってしまうというわけです。
 枕を首まで入れこむことによって呼吸がラクにできるので、安心して呑みこめる感じがします。
 話はもどりますが、ぼくにとって快適な食事をとるポイントは、いかにリラックスした状態をつくるかに尽きるのかもしれません。

 この原稿をアップすることには、ぼくなりに慎重になっていました。
 経験値を持った多くのヘルパーさんが逆の対応をされるということは、ぼくのケースは例外に近いことになります。
 もし、ぼくがオーソドックスだと勘違いされたら、とても危険な状況に陥ってしまいます。

 障害の特性を把握することは、いずれの場合でも大切な過程だと思います。
けれど、本人やよく理解している周囲の人たちの声に耳をかたむけながら仕事を進めることは、何よりも重要かと考えます。

 今夜、書くための時間と体力が残っていないので、すこし触れるだけにとどめますが、津久井やまゆり園の背景にも、障害を一括りにしようとする世の中の未熟さが横たわっているのではないでしょうか。
加害者を特別な人間とする考え方に、ぼくは世の中の危うさを感じてしまいます。

 内容が重くなってしまったので、頁のトップ写真はご近所の和菓子屋さんの涼しげなデコポン餅をアップすることにします。

 

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