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スイスイ

 普段、ストローとして使っているビニールチューブを買い替えた。
暑い時期には欠かせないカボチャのポタージュスープやおみそ汁を飲もうとすると、すぐに詰まってしまってどうにもこうにもならなかった。
そんなときは上下を逆にして吸うのだけれど、結局おなじことのくり返しになっていた。

 「詰まる弊害」はスムーズに飲めないことだけではなくて、言葉にしなければ介護する人には気づきにくいところにあった。
 無理やり吸おうとすると、息ばかりが胃袋をふくらませることになる。
一時的ではあっても、溜まった息で満腹になってしまう。
こんなことで時間をあけて食べていると、一日の予定が思い通りにこなせなくなる。
 いや、そんな理屈よりも、充ち足りた気持ちをともなわない満腹感は苦しいだけで、美味しいはずの食事と頬がゆるむ楽しいはずの時間を台無しにしてしまう。

 というわけで、まとめ買いしていたこれまでのサイズのチューブを「エイヤー!」と捨てて、ひとまわり太めのもの(といっても、数ミリだけれど)をホームセンターで購入した。

 さっそく、よく冷えたかぼちゃのポタージュスープをいただくと、スイスイと口の中を「旨さ」で満たしながら、ノドから食道を通り、胃袋まで流れるさまがしっかりと実感できた。
 ぼくの食欲の前に立ちはだかるものはなくなった。

 新しいストローは、不快な満腹感をなくし、美味しい食事と頬をゆるませてくれただけではなかった。

 数ミリ太くなっただけで、ひと息で口の中まで届く液体の量が適度に増えた。
これまでだと普通サイズのコーヒーカップでお茶を飲むとして、二~三回の息継ぎをしなければならなかったし、例の満腹感におそわれて、体が水分を欲しがっていても、オカワリはしんどいことだった。
 ところが、いまはおなじ量のお茶を一気に飲みほすことができる。
必要のない空気が、胃袋にはやってこなくなった。
おかげで、ぼくの御用達の玄米茶の購入間隔がずいぶん短くなったけれど、頻繁にニュースで耳にする家の中での熱中症の危うさからは、遠ざかることにつながったのではないだろうか。

 もうひとつ「タナからぼた餅」があった。
このところ、眠剤を飲むことに四苦八苦していた。
最近、五十代までと比べると、飲みこむ力が衰えてきている。
噛む力と根気は健在なので、「ぼた餅」などは以前と変わらず頬張ることに苦労はない。
たしかに、焼きそばなどをガバッと放りこまれると、ノドの近くでダマになり、大変なことになりかねなくなる。
だから、全てがすべてではないにしても、ぼく自身が気をつけられる範囲で頭の片隅に「危険な食べ物」をリストアップしておけば、日常生活に支障は起こらない(とはいえ、いろいろなことに出遭うけれど)。

 ここでnoteへの投稿にあたって、こだわり続けていたぼくの中の「禁じ手」を見えない檻から解き放つことにする。
ぼくには、本人が取り扱いに困り果ててしまうプライドみたいなものがあって、できるかぎり視覚的なものを使わずに、文言だけで伝えたいとモニターに向かってきた。
ただ、今回の錠剤については、形状をうまく言葉に乗せることができない。
ということで、ついに写真のお世話になることを決めた。

錠剤(たいら)

錠剤(ふくらみ)

 上段の錠剤と比べると、下段はややふくらみをもった形状になっていることが確かめていただけるだろうか。
この写真ではわかりにくいけれど、大きさだけでいえば、下段のほうがひとまわり小さい。
ところが、飲みこむ場合には、この「ふくらみ」によって、ノドのあたりで行きつ戻りつするのだった。
しかも、ややこしいことに無事通過したかどうか、わかりづらい夜がしばしばあった。
この「ふくらみ」をもった錠剤は眠りを導くためのものなので、ノドの境界線を越えていただかなければ、暗がりに目が冴えわたることになる。
翌朝になってお茶を飲もうとしたら、その存在に気づいて「やっぱり、そうだったか」と、寝つきの悪さを納得するのだった。

 太めのストローを使いはじめて、すっかり心地よく眠れるようになった。
ノドが渇いたり、寝返りをしたくなったりしても、ヘルパーさんを呼んでコトがすめば、暗がりを見つめ続けなくてもよくなった。ときどきお願いしたことすら覚えていないこともある。

 ストローの太さの数ミリの違いで、これほどぼくの暮らしがよい方向へ動きだすとは思わなかった。

 昨夜、うちの作業所のスタッフがお手製のらっきょうと「ぼた餅」を手土産に、わが家へ立ち寄ってくれた。
なにかの競技に「べっぴんさん」が登場するらしく、そそくさと帰っていった。もちろん、ここのところのコロナの状況にも気配りして。

 モニターに向かうまで、これほど「ぼた餅」のお世話になるとは想像もしなかった。

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