月が見ているよ
「背中がだるいし、寝返りさせてくれるか」
「ノドが渇いたし、お茶飲ませてくれへんか」
「セキが止まらへんし、アメなめるわ」
「オシッコがしたい」
こんな感じで、ひと晩に何度もヘルパーさんを呼ぶ。
同じ内容をくり返すことも多い。
ぼくが暮らす市では、二十四時間介護に近い状況までヘルパーの利用が認められるようになった。
といっても、ほかとの抱き合わせで、ヘルパー制度だけでまかなえているわけではない。
十年近く前だっただろうか。
市会議員の人たちと懇談する場へ出席したことがあった。
まだ、深夜の時間帯のヘルパー利用が認められていない時代だった。
正直に深夜の状況を伝えると、ほとんどの議員さんが「目からウロコ」状態になった。
当事者にとれば、いたって当然の話なのに、「伝えないこと」と「知らないこと」との食い違いに、あらためて驚いてしまった。
今日の明けがた、泊まりのYくんに寝返りをお願いした。
ついでに、シビンを受けてもらいながら時刻を訊ねると、「五時半です」とのことだった。
トイレを済ませて、古武術介護のワザを駆使して小柄なYくんが大柄なぼくをヒョイと横向きにすると、予期せぬ出来事が待ち受けていた。
なんと、そのまま引きつづいて、Yくんがぼくの腰をほぐしはじめたのだった。
彼は普段から「ほぐし」に長けていて、わが家を訪問するリハビリの先生から極意を伝授されている。
ただ、この時間帯に「来る」とは思いもよらなかった。
それにしても、Yくんの力の入れ具合の心地よさは、どんなふうに表現すればいいだろうか。
高級な生麩に包まれて、ゆられているようだった。
しばらく身をまかせてから、「いま」ぼくをほぐしている理由を聴いてみた。
眠っていると、体を動かす場面は少ない。
硬直は入らなくても、血行が悪くなってコリがうまれ、痛みにつながるのではないか。
そんな説明を、彼らしくボソボソと話してくれた。
他人の評価や自己満足を抜きにして、相手を思いやることができる人はうらやましい。
体も、心も、ほぐれてゆく一日のはじまりだった。