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でも、でも、デモ

 コロナが世界を席巻する前、何かとグチをこぼしあえるツレに誘われて、デモに参加する午後があった。
 基本的には主催者の想いに共感しなければ、いくら気心しれたツレの誘いといっても、「動員」という言葉にアレルギー反応が出そうなぼくは、お断りするに違いない。
 
 これからのウダウダの連続は、コロナ社会への憂鬱と深く関わっている。
 それでは。

 大都会のデモだから、「主催者発表」だと五百人を超えることもあったかもしれない。
 それだけの人波にあわせて歩くとなると、電動車いすのぼくはとても気を使わなければならなかった。
 行進の速さよりも遅いスピード設定になっていたから、先頭に近い隊列でスタートしても、どんどん追い越されてゆく。
だから、ひと息つくどころではなかった。
硬直しようと、お尻がズレようと、止まれば簡単に離されてしまう。
 それから、前後左右の人とぶつからないようにすることは、もっと大変だった。
よほどブレないように気をつけないと、誰かの足を踏んでしまう。
間隔の取れない中で、集中力を維持することは、ぼくにとって並大抵なことではなかった。
 けれど、まわりの参加者に気を使われることが、いちばんイヤだった。
日ごろ「人権」などと口にしている人にかぎって、見るからに「オッサン」であるぼくに、まるで小学生に話しかけるみたいな接し方をされることもままあった。
 もちろん、楽しみも見つけていた。
友部正人さんのライブで出逢いそうな若者を見つけると、声をかけてシュプレヒコールそっちのけで世間話をしたり、横顔の聡明な女性に追い越されると、いったん歩道に上がり並ぶあたりで隊列に戻ったりなどと、それなりの「らしい行動」は忘れなかったけれど。
 気心知れたツレとは現地集合で会えないままだったときもあったし、はぐれてしまったこともあって、結局はひとりで歩く日が多かったような気がする。

 モヤモヤすることは、ほかにもあった。
 とくに、シュプレヒコールの内容は、声をあわせて叫ぶには考えさせられるものが多かった。
 対抗する勢力が掲げる政策を反対する内容や、「○○倒せ」などと相手を名指しで呼び捨てにしていた。
 自分たちが「こうありたい!」という社会を言葉にできれば、元気になれたかもしれなかった。
 それに、シュプレヒコールに個人の名前を入れるときは、呼び捨てはどうか(?)と思っていた。
 考えかたに異論を持っても、存在を否定するようなことをしてはならないのではないだろうか。

 デモには意志表明と併せて、多くの人に「伝える」という大切なテーマがあると思う。
 その場所でたまたま出逢った行きずりの一人ひとりに、気にとめられたり、共感されたりする工夫が必要ではなかったのだろうか。

 すこしばかり、言いたいことを書きすぎてしまった。
なぜなら、あのころぼくは「思う」ばかりで、自分の気持ちを伝えようとはしなかった。
 行動を起こさない者に意見する資格はないし、何よりもぼくは伝えるための努力をしなかったボクをタナに上げている。

 コロナの時代になって、以前よりも一人ひとりの心の許容範囲が狭くなってしまった気がしてならない。
影響力を持つ声に対して違和感があるとしても、タタカレルことに怯えて寡黙であることを選ぼうとしているような気がしてならない(昔からそうだった、とも言える)。
 ここで書き進めているぼく自身も、そのひとりに違いない。

 だから、思いきってデモへ参加したころの記憶をたどってみた。

 ぼくがお世話になっているヘルパー派遣の事業所は、障害者のオリジナリティーだけでなく、ヘルパーさん一人ひとりの個性を仕事に活かそうとしている。七転八倒しながらも。
 なので、ぼくのエッセイ(?、笑)に登場する人たちは魅力的だし、ネタにこまる心配はない。

 平和と自由(一人ひとりの存在を否定することなく、価値観を認めあうこと)は、この世の中の原点ではないだろうか。
 といっても、全否定する相手とどう向きあえばいいのか、簡単に答えが出る話ではない。
 もっと日常に引きよせて考えても、ぼく自身が価値観の違うヘルパーさんの入る回数を調整してもらっている。平行線の会話は疲れてしまう。
 プチッと切れて、相手を傷つけてしまうこともある。

 「自由」について考えだすと、矛盾だらけの迷路に突入してしまう。

 今日はデモの記憶をたどりながら、自由(一人ひとりの違い)について書いてみた。
 深めれば深めるほど、結論など出せはしないだろう。
突きつめすぎると、心が疲弊してゆく。

 またいつか、自由について「ぼく」を書き残したい。

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