介護という「仕事」に寄り添う哲学
ある失敗
ぼくには尊敬する友人が三人いる。
中でも、京都の施設にお世話になっていたころの入居者の生活相談の担当だったMさんは、ぼくの生涯のいちばんの恩人に違いない。
(車いすからベッドへの旅、「ひとりの時間①」参照)
実は、タイトルを考えていて、彼女のことを指して「天使の○○」とか、「菩薩の○○」などが浮かんだけれど、それよりも人間味の深い情けと艶で満たされた人だった。
彼女が介護する一つひとつの動きを眺めているだけで、日常の些細な苛立ちや憤りが静まっていくようだった。
身体を起こしたり、寝返りを支えたり、食事を口へ運んだり、お風呂ですみずみまで洗い流すときも、相談に心を傾けるときも、どれほど忙しい日であっても、その一人ひとりを大切に想う気持ちは穏やかに、それでいて深く、介護を受ける側にも静かに届いていった。
ぼくが「なんで、そんなに誰にでもやさしく接しられるんや?」と訊ねると、しばらく言葉を探していた彼女は「自分がしてほしいようにやってみて、相手の表情を確かめることかなぁ…。それと、自分がされたらカナンことは、極力しないように心がけることかなぁ…」と、すこし遠くの壁に目をやりながら、丁寧に自分の想いと向きあい応えてくれた。
自分自身の介護スタイルに悩む若いヘルパーさんがいた。
世間話で介護のことをダベッテいて、ぼくは彼女の働く様子を思い出した。
「ぼくの施設にいたときに世話になったMさんはなぁ、抱きあげるときに首の後ろへ腕をまわしたり、オムツ交換のときに両足を持ちあげたり、ちょっと細かい場面設定してしもうたけど、どんなきつそうなときでも、なんかなぁ、見てるだけで『愛』が伝わってくるんや。クサイ言いかたやけど、『愛』としか言われへんにゃなぁ」
もどかしくて、しかたがなかった。それでも、「愛」としか言葉にできなかった。
話が一段落して、ラジオに耳を傾けていたときだっただろうか。
ふと、名案がぼくの心の中に転がりだしてきた。
すぐに話を切りだしてみた。
「さっきのMさんの介護のことやけどなぁ、具体的に説明できる場面が浮かんだんや。食事のときやけどな、スプーンでもお箸でも、ゆっくりと口の中へ入れるやろ。そしたら、口から抜くときもあわてんと、ゆっくり抜くんや。コワゴワと違うで、相手の表情を確かめながらな」
ついでに、いつものよけいな一言が出てしまった。
「これ、うまいこと行ったら、やさしいヘルパーさんやって、うれしい勘違いをされるかもしらへんで。相手のこと好きにならんでもな」
彼はすっかり納得して、この一幕は終わった。
数日後、彼が苦笑いして、わが家の介護にやってきた。
「この間の食事介助、さっそく試してみたんですけど、おかあさんに注意されてしまいましたわぁ。うちの息子はそんなにゆっくりすると「誤嚥」してしまうって」
申し訳ないアドバイスをしてしまった。
なるほど、ほんとうに介護はケースバイケースだと実感させられた。
ヘルパーはZくんという個人の一部、利用者はぼくという個人の一部
Zくんは、いつも悩みながら働いている。介護技術のこと、障害者(利用者)や職場での人間関係などなど…。
この間、ぼくのお尻の下にオマルが差しこまれ、きばっている最中にモゾモゾと話しはじめた。
彼のいつものトーンだけれど、マスク越しだからなかなか聴き取りにくい。
とりあえず、ぼくの大事業がすんで、悩みを聴くことになった。
働きはじめてぼくと出会ったころ、たまたま口にした言葉がZくんの心にずっと引っかかっているらしかった。
「ぼくにね、仕事感満載で来る人は苦手だって言ったの、憶えてはりますかねぇ。ぼくね、どこのお家へ行っても、力んじゃうんですよね。がんばらなくっちゃって」
たまたま口にした言葉と書いたけれど、以前はわが家に入ったばかりのヘルパーさんにはいちばん伝えたいことだった。
在宅生活になるまでは、居眠りが仕事だと笑いながら、作業所で目配り気配りする毎日だったし、公の会議へ出席しても想いの届かない場面がほとんどだった。
正直、家に帰ればゆっくりとした気持ちで過ごしたかった。
だから、暮らしているところに仕事感満載で来られると、とてもしんどかった。
いまになって、自分をタナに上げていたことに気づく。
ぼくだって、作業所の扉を開けると、自然にスイッチが入った。
無理難題を押しつけていた。
一方で、立場をわきまえすぎることへの危うさを感じないわけではない。
お互いを制度の枠組みに百パーセント当てはめようとすると、一人ひとりの表情や生活スタイルや考えかたが見えなくなってしまうのではないだろうか。
世の中全体に、仕事とプライベートをきっちり分ける流れが拡がっている。
若いヘルパーさんたちの中にも、そんな声を耳にする機会も増えた。
作業所へ通っていたころなら、顔をしかめていたかもしれない。
でも、一か月に二~三時間ほどしか作業所や会議へ出て行かなくなり、仕事との境界線が消されてしまうと、以前のように否定までする気持ちは薄れてきた。
人生の恩人のMさんのように、すべての人に平らかに接することは不可能に近いだろう。
ただ、お互いにひとりの人間として、百パーセント障害者(利用者)でもなければ、百パーセントヘルパー(支援者)でもない。
たとえば、ぼくにとって「障害」というカテゴリーは、ほかの部分と比べれば、かなり日常生活に大きな影響を及ぼしていることは動かしがたい事実に違いない。
けれど、目に見える範囲での身体の障害にしても、介護のノウハウにしても、それぞれに個人の特性がある。
それに、生まれ持った人間性から、たくさんのつながりの中で育てられたものが肉づけされて、いまの感性や価値観を形づくっている。
ヘルパーさんも、突き詰めると同じではないだろうか。
一人ひとりが生活や仕事をよりよく維持するためのルールは、必要だと思う。
けれど、いちばんの関係性の基本は、「わたし」であり、「あなた」ではないだろうか。
Zくんには、思い入れの深い障害者(利用者)さんがいるらしい。
ちょうどわが家での介護のあとに入る日もあって、元気よく言葉を交わして背中を見送る。
それぞれに、相性はある。
一人ひとりの顔を思い浮かべながら、ヘルパーさんを待ち、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、介護するお宅へ向かう。
お互いに違いを楽しめたら…、などと書こうとして、またまた自分をタナに上げていることに息苦しくなってしまった。
Zくんにお説教じみたことを言うよりも、そばで黙っていっしょにいられたらいいのだけれど…。