ひとりごと
ハゲかたはサザエさんの波平さんのように、後頭部と両サイドが残っていて、あとはおでこの際にチョロチョロと数本だけが線香花火の最後のパチパチを思い起こさる。
わが家に鏡はないから、自分のいまを確かめることはあまりない。
話はワープする。
ぼくの暮らしを見守ってもらってきた、もっと自分の気持ちに引きよせれば、空気や時間と一体になって、いつも傍らにある加川良さんや友部正人さんの唄の中には、逃げ場のないしんどさを明るく唄っている曲がある。
明るく唄っているわけではないのに、切なさと穏やかさが同時進行で体中を包みこんでしまう曲がある。
ぼくも、そんな文章が書けるようになりたかった。
この間、ようやく時間をつくれたので、バリカンで丸坊主にしてもらった。
普段、仰向きで過ごす時間が長い。
知らないうちに、汗をかいていることも多い。
後頭部だけはずっと髪の量が変わらない。
枕の上にタオルを敷いていても、二カ月以上はほったらかしにしていれば、「増えるワカメ」がへばりついているみたいで、不快感満点の毎日がつづいた。
いつも三十分近くかかるはずなのに、十五分ほどで仕上げまで進んだ。
ぼくは、気づいてしまった。
これまで頭のてっぺんも、多少はバリカンの行き来があったし、仕上げの手も入っていた。
ところが、今回はまったくバリカンの刃を感じることはなかった。
つまり、頭の上部の広い範囲に一本の髪も生えていなかったことになる。
この二ヶ月ほどで、すべて抜け落ちてしまったのだろうか。
その二日ほど前、ギフト券を使ってネットでお取り寄せをした。
以前は、コインなどでこすってコードを確かめていた。いまはシールをはがすだけになっているけれど。
丸坊主になったあと、頭にこびりついてしまった妄想があった。
ぼくのハゲ頭にコインをこすりつけると、脳内が透けて見えてくる。
その先にはあるはずの頭蓋骨も血管も脳ミソもなく、おびただしい活字が無秩序に積み上げられている。そこかしこで崩れ落ちそうになりながら。
その一つひとつは読みとれなくても、活字だという確信は動かしようがなかった。
眼の奥あたりに意識を集めると、幼いころに遊んでいたひらがなを覚えるための積み木によく似ている。
この情景は、三日経ったいまも、ときどき浮かんでは消えて、ぼくの口もとを緩めさせている。
暗い書き出しの結末は、こんなわけのわからない妄想というか、実際に意識の中で映像に換わるのだから、現実というのか、やっぱりこの世にはあり得ないのだから、言葉にできない何かと戯れている。
それだけの話だ。
ネクラな書き出しだと思いこんで、良さんと友部さんの唄の話を書いた。
読み返してみると、それほどではなかった。
それでも、その部分は削除することなく、投稿しようと思う。ひとりごとだから。