誰も言ってくれないか?私が生きててくれてありがとうと言ってやる

リッキーが死んだ。
リッキーは雑種のそこそこでかい犬で、毛が長かった 私が小学校に上がる前に、近所のツゲさんの家にもらわれてきた、その時点でもう子犬ではなかったと思う。(なんせ記憶があやふやですいません)てかでかかった。なので2歳ぐらいだったと考えると、15年ぐらい生きたことになる、寿命的には普通に死んだ。


愛嬌がすごかった。もはやラブ犬と言っていいほどだった。みなさん、犬からラブ受け取ったことありますか?私はあります。なんせでかいので、お手のスケールも段違いだった 普通にちょっと痛かった。


私の記憶が確かになる頃、つまり中3ごろなんですが、あ、と思った。リッキーにめちゃくちゃ毛玉ができていた。よく見たら目やにとか出てたし日陰からあんまり出てこなくなって、黒かったひげが白くなってるな、と気づいた時に老衰、の二文字がポンと出てくるくる回った。
時間は恐ろしいと思った。私の身長も気づけば150cmを超えていた。リッキーはしぼんだ。この前まであんな、大袈裟なぐらいラブを振りまいていたのに、ラブ犬から毛玉犬になってしまった。流石にその場では人の家の前でボロボロ泣くガチの変質者になりかねなかったので、家について家の前でちょっと泣いて、いや外で泣くのはどちらにせよかなり不審だ、と思った。


そういやリッキーは散歩に連れて行ってもらってないようだった。毛も伸び放題、雨晒しで、ツゲさんの家の中では猫が暴れていた。リッキーへの愛を横取りしているような気がして、私はその猫がどうしても好きになれなかった。


それでもまだリッキーは私たちが近寄れば両手で抱え切れないほどの愛を振りまいてくれたが、それも日に日にすくなくなって、小さじすり切りいっぱいほどになったある日、リッキーは私の手を噛んだ。去年の春ぐらいだったと思う。泣いた。もちろん痛かったが、それよりリッキーが哀れで泣いた。あんなにもラブを与えてくれたのに、あんなにも楽しげにラブを振りまいていたのに、もうできなくなってしまった。リッキーは本当にラブ犬じゃなくなってしまった。私を見てうなり、ツゲさんを見てうなり、車にうなった。犬もボケるのだと知っていたが、こんなに悲しいとは思わなかった。程なくしてリッキーはツゲさんの家の前からいなくなり(ツゲさんのおばさんの家で療養していたそうだ)死んだよ、とツゲさんの娘がお向かいのサカキバラさんに言っているのを聞いた。リッキーに申し訳なかった。もっと正式にリッキーの死を悼みたかった。もうリッキーには会えない。どうしようもなく悲しかった。ラブ値がマイナスになりかねなかった。


今日久しぶりにツゲさんの家の前を歩いて通った。もうリッキーのおりは空だ。相変わらずツゲさんの猫(ツゲ猫)は暴れている。しかし思った。私は何か忘れていた。愛は享受するばかりのものではない。与えることもできるのだと 思い出した。こんなことを忘れているとは、ラブ原理主義者失格だ。しかし、資格を再取得するため愛を捧げよう。天国に向ければ良い話だ(リッキーほどの素晴らしいラブ犬が天国に行かないわけがない。だとしたら天国は何もいない。ガンジーとかしか)リッキー、誰か愛してると言ってくれたか?誰も言ってくれないか?誰か言っててもいい、私が愛してると言うよ。
リッキー!素晴らしいラブ犬、愛をありがとう、君のラブを食べて私は生きながらえている。君の利発なくりくりな瞳なら天国でも大人気だろうと思うが、ガンジーを噛むのはやめておけよ。君は犬だがそれこそガンジーにでもこの文を読んでもらってください。タイトルをリッキー・ラブ・フォーエバーとかにしようかとおもったが、クサイしダサいのでやめた。リッキー、ごめんね またね おやすみ。


おわり


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