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新潟のJOKER、部落、自動車学校、食糞癖の犬、自閉症

#1包丁


私が満を持して免許合宿先に選んだのは新潟だった

奇しくも新潟といえば私の敬愛してやまない有名YouTuber keeby_bot氏の出身地にして法政大学を中退した現在の活動の中心地であり心躍るのは無理もないことだった。

燕三条駅の改札を抜け集合時間まで時間を潰す必要があったものの、構内にも店は一つしかなく仕方なくそこに入ることにした。

特産品なのかは分からないが、壁を埋めるように並び立つ夥しい数の包丁─────昼間の客が誰もいない店内も相まって非常に物々しい光景だった。

しかし今になるとこの物騒な光景はこれから先の辛く長い茨の道を示唆していたようにしか思えてならないのだ。

免許合宿場は周りに田畑がある以外何もなかったことも特段驚かなかった。だが余りに田畑しか無さ過ぎて地平線がずっと向こうまで続いていることまでは予想出来なかった。

建物もなく地平線の向こうまで目いっぱい夕空が広がっているのはとても綺麗だったが、夜になるとそれは地獄まで続いてるかのような気がして途端に怖くなった。

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#2ポルターガイスト・俺


昔からマリオカートの類が嫌いであった辺りからも察しは付いていたが、私の進度は一際遅かった。更年期の気難しい教官が七割以上を占めていることも追い風となり、あっという間に延泊が決定した。

最初に同室になったのは18になったばかりの高校生だった。彼はだいぶ前に入校していたため既に退校を目前に控えていたものの、私と同じく要領が悪く延泊になってしまったらしい。

フェイトのアストルフォ(女みたいな恰好をしている少年のキャラ)のシールを充電器に貼っていた辺り本当はかなり気持ち悪いおたくの可能性が高かったが、とても優しく恥ずかしがりの少年で非常に好感が持てた。

少年はすぐに退校してしまい私は広いダブルの部屋に一人残された。いつも話し相手だった同室がいなくなると途端に不安になった。液晶越しにずっと部屋で喋っているPDRも私の話に応えてくれるわけでもない。

俺はいつになったらこの部落から出られるのか?中卒にも出来る運転もろくにできない俺はそもそも生きている価値があるのか?

23時 俺は寮を出て外を歩くことにした。夜の部落ならどんなに叫んでも大丈夫だろう─────────部落には街灯がないのが主流だが、幸い車校の周りは国道だったので多少は街灯があった。

国道の交差点でずっとゴブリンの様に叫んだり、通りがかった車を全速力で追いかけたりしていると少しだけ心が楽になった。私が特に傾倒したのは絶叫しながら国道の交差点の柔らかめの標識ですぐ隣の電柱を楽器の様に叩き続けることだった。ちょっとしたコツがあり、人眼に触れると一番妖怪っぽく映るのがこれだった。そう。私は妖怪になりたかったのだ。

翌朝標識を叩き過ぎて筋肉痛になった。また昼間から判子が一つも進まない教習を終えると冷蔵庫が壊れそうになるまで蹴った。

部屋にあるものを毎日ひとしきり壁に投げつけた。ティッシュも。洗濯籠も。電話の子機も。投げていないものがテレビと冷蔵庫だけになった時、部屋の移動の時期に差し掛かった。

早く死にたい─────日に日にその思いが強まっていた。

#3本物


いつになっても仮免許にすら辿り着かない。私は既に免許取得を諦め、車校から追い出されるのを待つことにした。

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部落にも慣れ始め、部落ながらに近所に一応娯楽にはならないが多少の施設もあることを知り始めていた。とはいえ大したものはなく、毎日行くところと言えば近所の馬鹿でかいホームセンターの一帯だった。

心を失くした植物、鬱病の犬猫、自閉の熱帯魚、そして同じ敷地の部落特有の馬鹿でかいゲームセンター。完璧とまでは行かなかったが、私の心の隙間を埋めてくれそうなものがいくつかはあった。

特にゲームセンターにむかし愛媛県の部落に住んでいた頃もこんなゲームセンターがあった。客層も昼間から肉体労働者や生活保護者が揃っていて、殆どでまるで愛媛のものと生き写しで感動した。たまに落ちているメダルでスロットを打つことはあったが一銭も金は落とさなかった。


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とはいえ元々ゲームセンターで遊ぶのは一切好きでもなく、こちらは底辺を見に行くのにとどまった。一番多く通っていたのは間違いなくホームセンターの方だった。

素人が自動車に乗っていていい時間は一日二時間、仮免を取ると三時間。おまけに馬鹿が経営している車校だったので最初の二、三日に座学を一気に詰め込まれているせいで後半は教習の二時間以外はずっと暇な時間が続く。

毎日何時間もホームセンターで犬猫を観察していると色んな事が分かって来る。Twitterなどで過剰にもてはやされている彼らだが、畜生であるが故の汚い側面も沢山見えてきて少し面白かった。食糞癖があろうが兄弟で死ぬほど嫌いあっていようが彼らを嫌いにはなれず、結果退校する日まで毎日通うことになった。

#4光


三日という破格の遅れをとりながらも第一段階の終わりが見え始めたころ、隣のベッドに越してきた佐々木くんと仲良くなり毎日一緒に過ごすようになった。

佐々木くんは見た目が結構おたくでそれに違わず性格も拘りが強い方だったが、潔癖症で自ら進んで部屋を掃除してくれた。手抜きのベッドメイキングや掃除をろくにしてくれない管理人に加え、人の移り変わりの激しいタコ部屋である。床には何百本もの陰毛が散らかっていたが佐々木くんは入校日に全て片付けてしまったのだ。私はその心意気に感服し、例え彼の喋り方が成人男性離れしたおたく臭さだろうが一人前の男として認めてやることにした。

実際佐々木くんは入校初日から自重トレーニングに励もうと息巻いていたが2日目辺りからやらなくなっていたり結構茶目っ気のある奴だった。

しかし友達が出来ようがホームセンターで犬猫を眺めようが私の車校に対する怒りはけして収まりはしなかった。四人部屋になり以前のような破壊はしにくくなったものの私は代わりに駐車場の車体を蹴るようになった。毎日毎日、憎くない日なんてなかったので毎日毎日蹴り続けた。

ある日寮のエアコンが全て壊れ全部の部屋の室温が9000000度くらいになった。流石の部落車校も緊急で障がい者たちを近所の宿に泊める事になった。この一件も車体を蹴り続ける脚を強めた。この自動車学校はおかしい。北朝鮮に近いからか?

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そしてある日の朝、仮免試験の日に車体にへこみが生まれた。一週間前後蹴り続けた成果が遂に現れたのだ。

感涙の極みだった。この後の仮免など正直どうでもよかった。憎くてしょうがなかった車体がへこんだことが何より嬉しかった。


仮免には結局一発で受かっていた。だがその頃にはあまりに延泊しすぎていて最早卒業することにすっかり執着しなくなっていた。ただ変わらない車校への怒りがあった。

とはいえ第二段階からは絶対に延びることはない。それはこの部落教習所でも同じことだった。引き続き部落での暇つぶしを続けることとなった。一方で佐々木くんは第一段階途中から進度が思わしくなく、延泊が決まった。その日辺りから彼は口数が減り思いつめた表情をするようになった。

偶然にも私の卒検の日が彼の仮免の日に重なった。帰りのバスまで車校の二階で時間を潰していると仮免の受験者たちが運転を終え三階の教室に上がって来る。運転の試験に合格した者だけが筆記試験に進むことになっているのだが、列の面々を最後まで見届けても佐々木くんの姿はどこにもなかった。

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