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静けさという薬

子どもの頃、あまり泣かない方だったそうです…というか、母によると泣かなすぎて心配だったとのこと。そうだったのか。

帳尻合わせのように、脊髄腫瘍の一件で、いい歳してたくさん泣きました。へとへと。お腹の赤ちゃんには、悲しんだり苦しんだりする声ばかり聞かせてしまいました。

赤ちゃんに申し訳なくなり、胎教に力を入れよう!ということで、

ニーナ・シモンとかビリー・ホリデイとか、自分が普段心地よいと思ったものを聴かせてみたのですが…なんか、しっくり来ません。

心地よさを追求したところ、どんどんワールドミュージックの方面に行きます…アフリカン、マヌーシュ、北欧民謡…やっぱりしっくり来ません。チョイスがだめなのでしょうか(笑)
クラシックでも、大好きなサティとか…でもどこか、しっくり来ないのです。

で、音楽のためにyou tubeつけるのは止めてしまいました。あまり意識せずとも、家に一人でいるときは、基本的にBGMなしです。
※NHKの山伏のドキュメンタリーは唯一、心地よかった…(笑)

この「静か」なのが一番しっくり来ました。思い切って、胎教はせず、赤ちゃんには静けさを満喫してもらおうという結論に至ります。

うちの周りは畑と森で、聞こえてくる音は鳥や虫の声がほとんど。車もめったに通りません。「静か」胎教にはもってこいの環境です。

もちろん話しかけることはします。ねこと散歩しながら、「生まれてきたらめんこいねこに会えるよ」「今トマトと茄子が大きくなったね」なんてことも。実況中継です。

すると、不思議と体も楽でした。少し軽いのです。痛みへの意識が薄くなるというか。もし音楽があったら、曲と痛みがつながってしまい、再び聴いたときに痛みを思い出してしまう感じがします。

もしかして、何かの治療中だったり、痛みのあるときは、自然音だけ残した「静けさ」はお薬なのかもしれません。

もう少し深く分析すると…作られた「音楽」にはすでに意味や意図、意識が詰め込まれていて、なんだか余白がなくて、

逆に「静けさ」には、意味のある音はない(虫たちや動物たちの立てる音は、彼らには意味があるかと思いますが、私たちには自然音です)ため、余白があって、その余白に痛みを吸収してくれているような。

ちょっとした発見でした。

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