支援フリーライド【勘弁して】

息子が週三回。日中支援的なフリースクール的なものに通うようになって

同じ市内なんだけれど公共交通機関で通わなくてはならない距離で

息子氏の『依頼』を受けてわたし、送迎している。


彼の『依頼』なので彼の交通費、私の交通費。日中の飲食費用

全部『彼の特別児童扶養手当』で賄うことにしている。

月3.5万円とか?

これの残りを貯金するとして。さすがに一か月二人分の送迎とかランチ代に三万円使い切ることもないっす。

ただ。日中支援+送迎で昼間はまるっとつぶれてしまうし。

パートに出るとかは考えない体力がないから。

これを誰かに「変わってもらう」ために特児使うことはできる。

けどさ。実費の交通費と。本人のジュース代とか。

+して支援費用はらうの…なんかあほくさいなっておもったので。


自分でやってる。なのであまりをボクの「手当」にしてもいい。

パートなんかしていられる体力?んなもんはないよ。


フリースクールモドキなので。

本人がドリルを持参して学習しているんだけれど

支援員を「まだ信用していない」のでドリルの進捗。丸付け確認。

ぜんぶボクがやってる(ぜいぜい)


誰かに頼めば楽だけれど

誰かに頼むにはそこに「対価が必要」

その「対価」の話は結構息子にしている。



で。暇なのでwww

日中電車に毎日ここまで乗ることもないし

いろんなひとがいるなぁ。って見てる。

だいたい謎の違和感があるファッションの人のカバンにはヘルプマークがついていて。

えっと。


『ヘルプマークなくてもわかります』


って真顔になることが多い。


そして移動支援とかで支援に入ってる人がいる場合

名札ついてるので「がんばえー!がんばえー!」って心の中で思う。

ちゃんと「費用負担きちんともらえよ。自分のジュース代のつもりで相手にジュース飲ませるなよ!」ってこんな感じ(イメージです)

実費負担だぞ!保護者ー!わかるかー!わかってんだろうなー!


おまえのかわりに見守りしてるんだぞー!



さて、やさしいひとがいる。

世界には本当にやさしいひとがいる。

ツイッター見ててもいる。

やさしいひと。助けてくれる人。

でもさ、助けてくれる人がいることを知ってて


フリーライドするんじゃねぇよ…って思うことが本当に増えた。



息子氏と一緒に歩いていても「あ、これ助けたほうがいい」っていう事案に

なんでか遭遇する。

ついでに、ヘルプマークついてるひとにも「助けてください」っていわれる。


プロの支援に「入ってる」ひとはそのときどうするんだろう?

無視していいの?

無償でケアに入るの?


私は今「息子の支援に入っている」のでぜんぶ面倒を見てあげられない。

それで一日心配で気になって仕方がない状態になったことがこの送迎やってまだ

三か月も経ってないのに数回、ある。


ひとりはスマホをもっていて電話もできてひとりで出歩けるくらいの

境界知能かなぁくらい。

でもわたしには「時間がなかった」ので

(息子氏の通所の時間に合わせてい家を出ているので彼の支援に入ったとしたら息子氏を放置することになるでしょう?)

彼に「スマートフォンをもっていて連絡ができる人がいるならココで連絡して相談できますか?」ときいたら「はい」といった。


だったらさ。


保護者!保護者いるんだろ!

保護者じゃなければキーパーソンでいい家族で「支援することに決めた保護者」


そこまで面倒見て。

そこに誰もいない状態だったらのいくつかのチョイスを教えておいて

ひとりで「野に放つなら!」



あまりいい言葉じゃないけど。


ノーリードの大型犬がいたとして。

お買い物かごをさげてメモをもっていつも買い物してるから大丈夫ってなってもノーリードの大型犬はダメだろ?ってならない?


スマートフォンは遠隔でリードの役割はしないよね?


息子氏も「ひとりでいってきて」といったらたぶん

だいじょうぶ・・・だと思う。

困ったことがあったらメールしてるなり、駅員さんや店員さん。

交番の人に相談できるように説明している。

駅員さんや交番の人にヘルプマークを付けて

相談するとして断ることはないと思う(そうやってお給金発生してるわけだし)

でも「店員さん」だとすこし話が違う。

店員さんは優しくしなくてもいい仕事だよな。『支援の職業』ではない。


でも。個人的に特別児童扶養手当とか本人の障害年金とかって

そういう「支援」を受ける人の手当だけれど「支援をする専門の人を頼むため」(もしくは支援する保護者のため)の手当だと思ってるんだ。


飲み食いとかってこととか貯金するためでもない

将来不安だからって貯金に回しても



その「一回のトラブル」で強度行動障害の根っこが生えたら?って考えたら?ってならない?


もちろん『一人でできるもん』って自立することも目標だけれどもさ?

そうじゃねぇんだよなぁと思う。


見守りのために誰かが「手」と「目」を使えるんだから使ってあげてほしい。


ついでに「ボク」を疲弊させないでほしい(個人的な気分)


電車でさ?

ヘルプマークもってるからなるべく優先席の付近のドアでまってて

車椅子の人も待ってて

その優先席のあたりに「ベビーカーが三台」いる。


車椅子の人は「ご自分で移動ができるタイプ」らしいので…

駅員さんは乗る時にしかサポートしない。


さて。もしベビーカーの人。

ドア付近に陣取っている車椅子の人を避けてどうやって


自分の降りたい駅に降りられると思います?


声をかけて車椅子の人にご移動いただくしかないわけだが


なんで声かけなきゃならんの?

頼まなきゃならんの?のパターンはあると思う。


もちろん気を使ってくださる車椅子ユーザーもいるんだろうけれどさ。

ボクの観測範囲で見たことがない(本気で言いました)


幸い。ボクがベビーカー利用中にそのパターンになったことがないので

なんともいいがたいんだけれど優先席の車椅子場所って「ベビーカーも」ってなってることが多くて…なんだかなぁってなったんだよね。


よくわからないけど「覚悟」のようなもの。

諦めるってわけじゃないけれども。

先のことを考えたら「どうしたらいいの?」って自分の人生は?とか

まぁまぁ考えると思うんだけれど。


そこで『傷』がつくのって

実際は「当事者」じゃなくて「助けた側」なんじゃないかなぁ…。


取り返しがつかないことにならないように。


なんとなくボクは息子とくっついて歩いてます。


『誰か』に取り返しがつかないことにならないようにさ。


もちろん「わたし」が面倒に巻き込まれたくないだけなんだけれど。


それってプライスレスじゃん?


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