「答えのない教室-Building Thinking Classrooms-」の出版後と「世界で広がっているのに日本では広がらないもの」
3日ほど前に梅木さんと久々のミーティングを行った。「答えのない教室(新評論)」が発売されて3ヶ月が過ぎた。大きな動きがあるかと言えば、私の周りでは起こっていない。というよりも他の国では色々進展しているのに、日本では足踏み状態だ。そして翻訳出版はなかなか進まない。
こんな話をしていたのです。「答えのない教室」による手法での学びで子供たちが得られるものは、大きくは次の3点。
1.論理的な思考のくせ
→考えることから始まる
→だからクリティカルシンキングもできるようになる
2.コミュニケーション能力→伝える力・聞く力・理解する力などなど
3.インクルーシブなマインドセットの醸成
→みんながより長い時間、誰もが話しやすい、認め合えるようになる。
→みんなで考えるから、誰かを排除しない
その上、その手法が誰にでもできるように整理されている。だから世界中の教師が群がる(まさに、この表現だと思う。)
詳しくは「答えのない教室」が今すぐに日本の教育に取り入れられるべきワケ」:梅木さんのnoteを読んでほしい。
2年前の、あの子どもたちの笑顔はなんだったのだろうか?「算数の授業をこんなに楽しそうに受ける子どもたちの姿」はなんの証明にもならないのだろうか?
背景には教師に教える自由度がないこと、時間的余裕がないこと、これまでの学校教育は「日本全国に平等な教育」を、教師が伝えるべき内容がメモされた指導用教科書に沿って教えていくことがルーティン化していることもあるのだろう。私が小学生の頃、先生が忘れていった「先生用の教科書」を友達と発見してしまい、「なんだか答えを見ながらドリルをするようだね」とみんなで話したことを思い出した。
世界中で広がっているのに、日本では広がらないもの、なーんだ?
そんな問いを出されたら、あなたはなんと答えますか?
私は「答えのない教室」と「インターナショナルスクール(的な学び方、英語が普通に話せること」ではないかと思います。こんな書き方をしたら、もっともっとあるのでしょうね。
もしかしたら、梅木さんと私では力不足で、これらが広がらないのかもしれません。しかし、他の8言語を使う国々では、飛びつくように翻訳化が決まり、公立私立の学校で取り入れられ、その垣根を超えた教師同士が意見交換をしたりなど、繋がりからの子どもたちの未来拡大につながっているのです。
どの国の教育も、良いものもあれば、よくない部分もあると思う。PISAの結果を見ても、日本の教育状況はそう悪いものではないのだ。しかし、世界という舞台で、活躍もしてほしいし、過不足なく生きていくための「能力がつかない」ことに問題がある。世界で生きるためには、平和を重んじたり話す・聞く・促す・共創するといった対人スキル(コミュ力)は本当に大切になる。困った。
今日「日本のアタリマエを変える学校たち」(新評論)が発売されて、そのことを書こうと思っていたのに、こっちの話になってしまいました。(雨のせいで書店にも行っていないぞ、いかんな。)
翻訳出版には編集・構成で250−300万円が必要になる。(初版を何部印刷するかで初期コストは変わる。この中に翻訳費用は含まれない。)しかし、他国は翻訳出版できちんと売れているのだが、日本では、翻訳出版しても売れないような気もしてきた。どうしてこんなに他の国と違うのだろうか。
とほほ。(時にはこんなnoteもいいですよね?)
ps top 画像は「ふざけんな」というタイトルとのこと。
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