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LIBERTY
自然と目が覚めると心地よい。
体内時計が機能してくれている。
日の出の時間よりはまだ早く外の様子は知らないけれど、今日の天気は曇りのはずだ。
気分はすっきり晴れて感じられる。
ぬくぬくとした布団の心地よい感覚を味わうように気分は笑っていた。
今日の一日が大丈夫だと根拠もなく思える。
客観的にみれば状況は567環境に押されっぱなしである。
数々の懸念で気持ちが休まる時があまりない。生活とはそういうものだと以前の自分はそう納得させ目を閉じていただろう。
劣勢の状況下であるけれど、567環境のおかげで図らずも自分と向き合う一年となった。
不安や恐れ、怒りや批判などの感情がどんどん湧いていく毎日で、自分なりにそれらの感情に対応、対処する術や心の置き所を探してきた。
比較的ニュートラルな自分の心の位置が分かるようになりつつも、人間である限り負の感情が出てこないようになるという事はありえないわけで。
負の感情が出てくる自分を許せないような潜在意識下の感覚を、実感として感じられるようになったのが自分には良かった。
感情をコントロールする術ももちろん大事ですが、
負の感情が湧き上がった時に、自分の良心に従った行動をどうすれば良いのか。
自分はどのような生活の表現を後世に残す、今の表現者になりたいのか。
私は次の世代に、子どもが大人になる時代に、どのような価値観を残せるのだろうという視点を一つ加えた。
聖人君子を目指しているわけではなく、これからもずっと未完成な人間の自分であり続けるので必ず間違いをする。
その時には素直に「ごめんなさい。」とおじいさんになっても謝れる自分でありたい。
開き直るつもりではないがそれでいいのだと思う。
そうした自分を許せるようになると気持ちにゆとりができ、少し俯瞰した構えない距離で向き合えるような感覚がする。
特別な人間などいない。
誰でも闇に落ちる才能を持っているし、輝ける光になる才能を持っている。
だから意図的にどのような表現者でありたいのか良心の声に耳を傾ける必要がある。
私はこれからの世代に、真実の安心と真実の自由という価値観が根付くように心がけた日常を表現する一個人でありたい。
こういうやり取りを見えない何かに有言し続けた一年だった。
実行したり、しなかったり。
そういう自分を許して、なぜだか大丈夫のような気がする日常をどんどん歩きます。
そして、心の自由になる自分を見えない何かに宣言いたします。
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