何でもかんでも意味あるわけではない

NHKスペシャル「若者たちに死を選ばせない」
拝見しました。

過去の自分が思い起こされるようで考えさせられました。

約4年半前、自殺企図までいったものとしては、大きい小さいはあれど希死念慮とは生涯付き合っていかざるを得ない相手かなと思います。

死ぬ勇気があればなんでもできる
周りに与える影響が大きすぎる
自殺は合理的ではない・・・

どれも正論だと思います。

間違っていない。

でもなんかそんなところとは一線を画した線上で自殺という結果を考えていたなんていう節が自分にはある。

当時の自分は、仕事でもうまくいかず、逃げきれない状況にも陥り、ふとそんなことを考えていたと思う。

なんか世間から切り離されている感覚。レールから外れてしまった自分にはこの社会に居場所はないという感覚。

人と人の関係性も不足していた節はあるだろうが、全くなかったわけでもない。

でもなんだろう、存在してはいけないとふと思う。

そんな感覚が近いように思う。

番組中も、自分語りができない漠然とした雰囲気があると若者が語っていた。

それはすごく同意する。

なんか、人はそんなに興味ないよというか、別に何につながるわけでもない時間が許されない、そんな気持ちはある。

自分自身の考えを見つめ直し、しっかり自分が自分をみてあげること、とっても大事だと思う。

その上で、なんだろう、やっぱりどんな人でもいていいんだよって自分で思えることが大事だと思う。

私は今でも気持ちを伝えるのが下手だ。
加藤くんは助けてってオーラ出す時あるけどそれが何か言わないしわからないからどうすることもできないなんて言われることもある。
何考えてるかわからないとかも言われるっけ。

だからこそ、今ここで私を受け止めてくれている今の環境には感謝しかないわけなのだ。

それでもやっぱり不安だから、みんなしあわせ?っとかっていうアプローチでそれを組織に求めてしまっている節もある。

そう、私が実は安心して「しあわせ」を感じていない部分もあるのだろう。

だからそこにいていいっていう、自分の気持ちを出していいっていう雰囲気を求める。

あー何が言いたいか全くわからなくなってきたな。

とにかく、しっかり呼吸して呼吸して呼吸する。

それだけですばらしいんだよね。

あとは何もいらないんだよね、多分。

風に乗るように、風に流されるように、生きていく

そんな時間もあっていいかもしれない。

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