久しぶりに徒然なるままに

久方ぶりにnoteにアクセスしたいなと思いました。

きっかけは、川上村の地域おこし協力隊のデイビッド・カパララさんのドキュメンタリー映画「YOSHINO RINGYO 吉野林業」の上映会の案内を目にしたこと。

吉野林業

500年の歴史があると言われます。
1500年頃の植林、これが「日本最古の造林地、川上村・吉野林業」の起源だそう。
その苗は、天然林による実生苗説や高野聖が持ってきた高野杉の杉苗説、春日大社の春日杉説等諸説あるようであるが、川上村から吉野林業ははじまり、500年の歴史があるのは確かなようだ。

川上に来て、「町場の人は山は自然と存在しているかのように思っている人も多いかもしれないが、人が入り手入れされ、初めて山は維持される。そのことをまずはわかってほしい」そんな話を聞くことがよくある。

確かに私もそう思っていた節がある。
山はそこにあると。

手付かずの天然林も非常に価値があるが、500年の歴史ある人工林、その中でも400年生の人工林が今でも残されている、人工林としてそこにあることにも非常に大きな価値があるのだとある人はいう。
人工林という価値が。

正直私はまだわかりきっていないと思われる。
その人工林の価値を。

山の仕事をしている方々には本当に頭が下がる。
へなちょこな私には決してできない。

でもそんな吉野林業を通して、自然との関係性、山との関係性を紡いできた村だからこそ自然との距離感が無意識のうちにとれているような気がする。

ある人は、川上で暮らす魅力をこう表した。

「とても大きなもの、偉大なものに包み込まれる安堵感がある。それは自然がもたらせてくれているものかもしれないがその安堵感は私は確実に感じる」と。

これを感じられることこそ価値のような気がする。

私は果たして感じているだろうか。
感じられているだろうか。

そして、その安堵感は地域の人によってももたらされるものであると私は思う。
あの人と話すとほっとする。落ち着く。
確かに村民さんと話をするとそういった気分になるものだ。
あまり役場庁舎にはいたくないなと思った。
より村民の近くで働きたいなと思った。
それはそれでデメリットもあるのだろうけれど。。。

兎にも角にも、冒頭のドキュメンタリー映画を見ながら自然との距離について考えてみたいものである。

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