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ライフワークだと思っていたのに-③

【情熱がなくなってしまった…?】
研究者になりたくて、働きながら大学院に行き、博士号まで取得した私は、これで研究者として生きていく基礎ができたと思いました。官民合同の大きなプロジェクトに携わることも決まり、そのまま突っ走る予定でした。同時に結婚も決まり、公私とも順風満帆だと信じていたのです。

ところがです。以前ほど、研究にのめり込めないのです。結婚したことで、自分のことだけにかまけていられなくなった、ということもあると思います。同時に、私の研究自体も、また会社全体も、停滞期に入った、とも感じました。売り上げも落ち、社内の雰囲気も、以前のような勢いを感じなくなってきました。

大学や他の研究施設へ転職も考えたのですが、基礎研究自体が費用削減の傾向にあり、大手企業の研究機関が廃止されたりもしていた頃でした。また、大学や公共機関の研究者の方々と交流する中で、研究の現状なども聞き、その中で自分がやっていくのか、やっていけるのか、ということも考えるようになりました。

全ての研究機関がそうというわけではないでしょうが、私が話を聞いた先生方は昼夜問わず研究に没頭しているという印象でした。また、大学ではそれ以外にも、大学運営や講義、学生の研究指導などもあります。数年前の私なら、喜んでそこに飛び込んでいったと思います。ただ、この時は、そこに以前ほどの情熱を感じない自分がいました。

膝を抱えてうずくまる

【子どもを授かる】
念願の博士号まで取り、博士号取得のタイミングで結婚も決まり、順風満帆なはず。そう思い込ませようとしながら、いざ研究者としての道を進んでいくという時(認めたくはない事でしたが)、何かが違う、という感情が湧き上がってきました。

思うように結果が出ないということもありましたし、どうしたら次の課題をクリアできるのか、模索している状況でもありました。売り上げが落ちたことで、会社からも結果を求められるようになってもきましたし、社外のプロジェクトもイマイチ足並みが揃いません。今まで順調だった分、色々な不具合が一気に出てきたという感じもありました。

ちょうどこの頃、今後の私の生活に大きな影響を与える出来事が起こります。子どもを授かったのです。妊娠中は、ぎりぎりまで通常業務をこなしていました。産休直前には学会発表もしていますし、この頃はまだ、大学や公共の研究機関に行かないとしても、この会社に残り、研究開発を続けていくつもりでした。

そして、子どもが産まれました。子どもを育てることが、どんなことか。これは、本を読んでも、話を聞いても、体感しないと現実には分からない事でした。だから、産まれるまで気づかなかったのです。自分の価値観までもひっくり返る可能性に。子どもが産まれたことで、私にとって一番大切なものは「研究=仕事」ではなく「子ども=子育て」になっていました。



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