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長いキャプション_愛知県緑化センター

先日、instagramに愛知県緑化センターの写真を投稿した。3件ある投稿のキャプションには「建築然としているもの」「躯体と自然の折り重なり」「朽ちていくための構築体」とつけてある。
建築としては今までにない体験をしたが、その感慨はちゃんと写真に込められているだろうか。言葉が勝手に滑っていかないよう、なるべく簡単な言葉でキャプションを書いてみる。

内容が込み入ってきたら、ときどき江之浦測候所を対置させながらその写真に小さく追記していこうと思う。


愛知県緑化センターへは、市街地を通る道を通って到着する。「メタセコイア並木」のあたりから歩いて、センターの本館と「カスケード」へ。

江之浦測候所へは、送迎バスで海の見える道を10分弱通り到着する。
この過程が既に施設へのアプローチ的で、駐車場からはほとんど歩かずに着く。






建築然としたもの - 内のような外

投稿した順にキャプションをつけていく。
最初は、メインの建築である本館が埋まっているランドスケープの写真を投稿した。

バスを降りたあとに見る光景
柱のような木立ち

アプローチは、アスファルトで覆われた歩道を5分くらい進む。
アスファルトと土が切り替えられ、それぞれの領域は分けられている。
少しずつ取られた樹々の間のリズムが独特で、野生的すぎも整然ともしすぎていない姿が時々柱やパーゴラのような建築の言語に重なって見える。ここはもともと県有林だったようで、それがどの程度デザインされてこの姿になっているのかわからないのも面白い。

ちょっと江の浦を思い出してみる。江の浦は崖の方のエリアは元の環境に忠実で、剥き出しの土に角材を敷いたような木道を進む。
美術品を見る上では野生のカオスが生み出す緊張感は良しと判断されたんだろう。
愛知県緑化センターはむしろ、自然環境に対し文字通り一歩引いた視線を向けることができて、緑への親しみを生み出すプランニングになっている。



左右対称のカスケード
まっすぐ上に伸びた杉の森

本館を回り込むと、カスケードの背後に野生的な山が隆起している。視線が奥まで届かない山は、先ほどのような見せ物としての緑よりもむしろ、その迫力で序破急の「急」の部分としてシークエンスを受け止める。

擁壁を這う根

古い新建築には、まだこの山の木の背が低い頃の写真が記録されている。竣工から50年が経ち周辺環境とは見分けがつかなくなっているけれど、こちらは自分たちで育んだというところがより重んじられた部分だと調べてみて分かった。擁壁や基壇に生えた根に竣工からの時間が刻まれている。

駐車場へのトンネル
トンネルの天井を這う根

ランドスケープの下にはトンネルが通っていて、大きなランドスケープを舞台にしたシークエンスの一局面として続いている。トンネルの天井を木の根が這っているだけでなく、この建築自体が歩いているだけで五感が鋭敏になる環境だから、このトンネルは音環境や皮膚感覚が研ぎ澄まされる不思議な場だった。

凛とした大自然とあっけらかんとしたゴシック体の看板の取り合わせがシュール
江の浦のトンネルはより解釈が難しい。古代人に現代の加工技術だけを与えたようで、
プリミティブな地形にコールテン鋼の筒を突き刺したような姿をしている。
そもそも人類の原初へ立ち返ることを目的としている場なだけあり
「高度な技術」で「原初」を再現しているようで、扱っている時間のレンジが広い。
愛知県緑化センターのトンネルは技術としては一般的だけど、その分1976年からの社会のタイムラインにしっかり依拠している。






建築と自然の折り重なり - 外のような中

エントランスからカスケードまで見える
木を避けたスラブ

岩盤が隆起したようなメインエントランスから、本館の低層部に入ることができる。エントランスの天井が明らかに低く暗いのは、明らかに本館の中心であるホールへのシークエンスをつくるため。


光が落ちてくるホール
基壇のような低層部

低層部では、上下左右方向へ視線が外部まで抜け、天窓からは光が落ちてくる。外に通じていないガラスは室内の景色を反射して、どこまでが建築なのか、どこからが建築なのか、この空間の実像が曖昧になる。窓を見ればバスを降りた瞬間から窓越しに見えるカスケードや背後の山まで建築のような気もするし、天窓を見ればこの空間を成立させている太陽という存在も遥かな隣人に思える。

ほの暗いホールの周縁
小叩き仕上げのテクスチャ

低層部は小叩き仕上げの鉄筋コンクリートが使われ、ホールの印象は太陽の光が溜まる基壇部に近い。瀧光夫本人が「庭に上屋をかけたような」と称しているのを振り返ると、この建築は「屋根/4F/3F/2F/1F」というような切り分け方よりも「上屋/骨格/基壇」という方が正確かもしれない。実際にこの低層部は若干丘に埋まっていくようにスリ鉢状に下がっていく。



朽ちていくための構築体 - 現代発の遺跡

柱梁から飛び出た、軽々とした姿の鉄骨階段
梁が飛び回る空間
自分の姿が映りこんでインスタではボツにしたスリットの写真

軽やかに立ち上がる階段を上がり、本館内の上階に進む。重厚な基壇から鉄骨の骨格がシャキッと立ち上がったと思うと、天端の近くで壁が途切れた。ガラス製の上屋が導入した光でホールの植物が育っていたことを確認するかと思いきや、ホール空間が外部と渾然一体になっていたのはスリットが屋内を外気と繋げていたからでもあると種明かしされた。さすがにハッとした。


江之浦は、バスの移動という長いアプローチを経て訪れる別世界で、太陽の軸線や美術・骨董品をきっかけに遠い過去と対峙する場。1000年単位の文明的な時間スケールを扱う上で、
野外劇場などははじめから遺跡のような見かけをしている。そのために石を扱う。
愛知県緑化センターは、本館へのアプローチをゆっくり歩いて、1976年から現在でもうごいている環境に対峙する場。そのために緑を使い、太陽は恵みのある隣人として存在する。
このプログラムが、堅牢な70年代のモダニズム建築という肉体を得たのは必然かもしれない。


上屋から鉄骨階段に燦燦と差す光


全体に作用するパワフルなディテールがホールの植物を茂らせ、単純に見えた建築が自然環境と融け合っている。グリーンウォッシング的な緑の使われ方や、蔓性の植物にもっと露骨に飲み込まれようとするものなど、瞬間的な緑の設計はあるけれど、こんな姿の建築は見たことがない。公共施設だからこそ設計で扱っている時間のスケールが長く、それに合わせた材料選定が効いていると思う。
あらかじめ少し弱い建築を作ることで、これは1976年に竣工した遺跡が風化する過程を見る建築だと思った。これですら50年目なわけで、また50年後に見に来たい。






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