魔女宅バナー

キキが魔法を取り戻すために必要だったものはなにか? ーー『魔女の宅急便』

■宮崎駿がうっかりバブル社会を肯定した『魔女の宅急便』

ーー今回取り上げる作品は宮崎駿監督の『魔女の宅急便』です。

『魔女宅』ね。

――はい、ついにジブリ作品です。宇野さんがはじめて『魔女宅』をみたのはいつですか?

『魔女宅』って1989年だっけ? 映画館では見てないんだよね。ラピュタは母親と弟と、長崎にいたころ映画館で見た記憶があるんだよ。『魔女宅』は映画が公開されて1年後か2年後にビデオになったときに親が借りてきて、家族で見たのが最初かな。

――『魔女宅』をはじめてみたときの感想はどうでしたか?

普通におもしろいなと思ったよ。めっちゃはまったりはしなかったけれど単純に楽しく見たって感じ。

僕ね、もしかしたらジブリでこれが一番好きかもしれない。いくつか理由があって、1つは、結果的にだけど、これはそんなに説教臭くない。よく見たら細部には、おじさんがにやにやしながら女の子の独り立ちを見守っている感じっていうのは気がつく。今みるとそういうのがわかるんだけど、当時見たときは、説教臭くないなと思った。

ジブリ作品って、金曜ロードショーで繰り返し放送されて見るわけじゃん。で、中学生くらいからだんだん自意識とか芽生えて本を読むようになって、頭でっかちになっていくでしょ。その頃になると、例えば『風の谷のナウシカ』(以下、『ナウシカ』)は面白いけど、若干説教が陳腐だと思うわけ。『天空の城ラピュタ』(以下、『ラピュタ』)のクライマックスのシータの「人は地に足をつけてなきゃ生きてられないのよ」みたいな説教とかも、「いや別に普通の人間は地に足をつけて生きてるから」みたいな(笑)。東京の都会で、アニメとか作って生きてる人は違うかもしんないけどね。今の僕の感想じゃなくて当時の僕の感想だよ? ちょっとひねくれたガキだった、北海道の中学生の宇野の感想。

でも、漫画版の『ナウシカ』って、こんなに真面目な創作物を通して人に説教をしようとしているおじさんの知的格闘の凄みみたいなものを、むしろ言語外の部分から、要するに絵から感じるわけ。しかも最後はこれを言うと反発する人も多いと思うけれど破綻している。あれ、要するに思想的に行き詰まって、「生きねば」みたいな当たり前のことを確認することしかなくなっている。王様に裸だと誰も言えなくなっているけれど、完全にそう。でも、あの破綻に至る過程だよね。その凄みがある。ああいうものを見せられた後に、『ナウシカ』とか『ラピュタ』とかあるいは『となりのトトロ』とか、あの時期の宮崎駿のアニメが持っていた中途半端なイデオロギッシュさっていうのは、作品の足を引っ張っているように見えちゃうわけね。もちろん、そういうところとは別の部分で「ラピュタ」も「トトロ」も大傑作だと思うよ。宮崎駿の説教は陳腐なんだけれど、そうではない、どちらかというと作家の無意識の部分から出てきたところがすごいと思うわけ。でも説教は底が浅いよね。やっぱり。

ただ、10代の僕にとって『魔女宅』は、宮崎駿が珍しく、自分も共感できる世界に対しての距離感でつくっていたように思えたわけ。『魔女宅』って公開当時、日本はバブルなんだよね。当時、フリーターって言葉がそんなに悪口ではなかったというか、どちらかというと定職につかなくても、都市の中で自分の好きな仕事をちょっとずつやって自由に暮らしていく新しいワークスタイルみたいな感じで、若干もてはやされた時代なんだよね。

『魔女宅』は、言ってみれば「ティーンの女の子が街に独り立ちしに来て、ちょっと頑張って仕事を始めたら、友達もできるし、都市の自由な消費社会とかに触れて、プチ自己実現できちゃいますよ」みたいな話じゃない。これって当時のバブルの都市の魅力と重なってるんだよね。

80年代の日本って、東京はバブルで浮かれてたかもしれないけど、地方はど田舎なんだよね。本とか読んでいると、どうしても「80年代=東京の渋谷を中心としたきらびやかな消費社会」というイメージになっちゃうじゃない。でも実際は違っていて、僕は親父が転勤族だから、80年代当時、北海道とか九州とか東北とか、日本の片田舎に転々としながら暮らしていたわけだけど、あの頃の日本ってどちらかというと、高度経済成長の延長線上なんだよね。だから、この泥臭い農村から、都会に出て自由になるんだと。自分の職業は自分で決めるし、自分の結婚相手も自分で決めるし、自分の好きなものを着て、好きな家具を揃えて、好きな映画を見て、好きな本を読んで暮らすっていう都市生活って最高じゃないかっていう、まだ日本が都市的な生活に憧れていた時代なんだよね。魔女宅ってその気分にピッタリ合ってるわけ。

だってさ、『おしん』とか大ヒットしてんだぜ。まああれは80年代前半だけどさ。80年代の日本って、メディアの人たちが「あの頃は結構軽薄な文化だった」とか振り返ることが多いんだけど、それって東京の一部の文化産業だけの話で。日本全体としては、やはり製造業を頑張って、この泥臭い封建的な社会から離脱しようみたいな、そういうモードだった時代なんだよね。

宮崎駿は、これは俺の想像だけど、わりかしあの作品を見て「しまった」と思ったと思うんだよね。つまりうっかりバブルというか資本主義を肯定しちゃってるわけ。あれって、消費社会の話じゃない。

■キキが再び飛ぶためには何が必要だったか

ここから先は

10,123字

¥ 500

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。