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「遅れてきた」読者にとっての『アニメック』

今回は、昨年、ガンダム40周年記念号として復刻した雑誌『アニメック』についての寄稿をお届けします。アニメック創刊の年に生まれた僕が、なぜこの雑誌に出会ったのか、そして何を学んだのか振り返りました。
※初出:アニメック ガンダム40周年記念号 (カドカワムック)

 あまり他人に話したことがないのだけれど、僕にはちょっとした自慢がある。僕はあの「アニメック」のバックナンバーを、ちゃんと数えたことはないけれど、ほとんど揃えて持っているのだ。その程度のことで胸を張ってもらっては困ると、たぶんこの本を手にする多くのお兄さん/お姉さんたちは思うだろう。でも、少し考えてみて欲しい。僕はアニメックが創刊された1978年に生まれている。アニメックが休刊したときはまだ小学校低学年だ。要するにリアルタイムではまったく読んでいないのだ。そんな世代の人間が、バックナンバーを集めて持っているのはちょっとくらい自慢してもいいんじゃないだろうかと思う(もっとも、このムックに僕が書いていること自体が気に食わなくて、「また」インターネットで陰湿な嫌がらせを企む人もいるのだろうけど)。

 僕とアニメックの出会いは1995年の春。10月にあの『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が開始される少し前のことだったと思う。当時高校生だった僕は函館にあるミッションスクールの寮に入っていた。当時の僕は先輩に飢えていた。帯広という寒村(というほど田舎でもないのだけれど、まあ、それに近い何かだ)の中学に通っていた僕は、周囲にほとんどアニメファンがおらず、欲求不満が溜まっていた。もちろん、これは正確ではなくて一緒にガンプラを買いに行く友達もいたし、当時創刊されたばかりのスニーカー文庫貸し借りする友達もいた。しかし彼らのほぼすべてが単にアニメが好きな人たちで、虚構を通してものを考える行為とか、作品の快楽のメカニズムを分析するとか、そういうことには興味がないタイプの人たちだった。彼らとの毎日はそれはそれで楽しかったけれど、その一方で僕はこう考えていた。高校に入るときっと『究極超人あ~る』のたわば先輩や鳥坂先輩を理屈っぽくしたような先輩がわんさかいて、彼らは僕に毎日のようにマウンティングして「くれる」だろうと。「なんだ、宇野は○○も読んで/見ていないのか。なら、これを貸してやろう」と彼らは山のように文庫本やムックやVHSを僕に押し付けてくれるのだと、そう信じていた。当時の僕は、オタクエリートのお兄さんたちにマウンティングされる高校生活を熱望していた。しかし、現実は違った。1994年の函館には既にオタクの「動物化」の波が押し寄せていた。同年春に函館で高校生活を始めた僕は、端的に幻滅した。

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