お前は不正義と戦えない、と言われた日
■新聞に嘘を書かれた日
東京新聞のコラムで、少し前に僕の本が取り上げられているらしいと聞いた。たぶん2月に出版した『遅いインターネット』が取り上げられたのだと思って、すぐに取り寄せて読んで、愕然とした。そこに載っていたのはかなり口汚く僕を中傷する内容だった。批判されること自体は、世の中に意見を述べている以上仕方がないと思う。しかし僕が愕然としたのは、罵られたからではなく、その記事で紹介されている僕の本の内容が実際に僕が書いたものとまったく異なっていたからだ。それどころか、ほとんど180度真逆の内容として紹介されていたからだ。
具体的には以下のような点が、ほぼ真逆の内容に書き換えられていた。
・なぜか、僕がシリコンバレーのプラットフォーマーを称揚していることにされていた。(実際はその真逆で、シリコンバレーのプラットフォーマーたちの作り上げたSNS社会を厳しく批判している。)
・なぜか、僕があたらしい市民政治の担い手をシリコンバレーのプラットフォーマーに設定していることにされていた(実際には市井の職業人の個人個人に設定している)
・なぜか、僕がこれからあるべき世界を変える方法をプラットフォーマーがグローバル市場にイノベーティブな商品やサービスを投入することだと主張したことにされていた(実際はそれだけではダメなので、民主主義のアップデートと「遅いインターネット」が必要だと述べている)
と、全体的にほぼ真逆の内容に脚色されて紹介されていた。(あと、ついでに言うと読者コミュニティに僕の発信のノウハウを共有する講座のどこが自己啓発的なのか、さっぱり分からなかった。)
既に僕の本(序盤だけここから読める)を読んだ人は、ぜひとも読み比べてほしい。
改めて述べる必要もないと思うが、『遅いインターネット』はシリコンバレーのプラットフォーマーたちのつくったSNS社会への批判を試みた本で、逆ではない。だったらそもそも「遅い」インターネットなどというタイトルはつけない。あまり情報社会や、近年の政治経済に詳しくない人がほとんど理解できない状態で、でもどうしても批判したくて無理矢理書いてしまった結果なのか、嫌がらせ目的で故意に虚偽を書いたのかは分からない。しかしデマを流された方としては、たまったものではない。
あなたが、阪神タイガースこそ最高の球団であると主張した本を書いて、タイトルに『君と六甲おろしを聴きたい』とつけたとしよう。しかし、その本がデイリースポーツ紙に「この本は巨人至上主義を訴えている」と内容を捏造されて、クソミソに書かれたら、どう思うだろうか。
ほぼ影響力のない媒体だと思うので、放置でもよかった。しかしちょっと内容が悪質だと思うので、一応抗議しようと考えた。
書いている人は、僕をどうにかして貶めてやりたいという気持ちが先走って、でも知力が追いつかなくて、本の内容を理解できずにほとんど真逆の主張に脚色して、批判することしかできなかった可能性が高いと思う。意図的に風評を流しているのならさすがにもう少しボロのでない、周到な内容にするはずだからだ。しかし、嘘は嘘だ。
そもそも東京新聞のデスクや、担当記者はこの記事のファクトチェックをしなかったのだろうか? しなかったのだと思う。新聞によっては文化部などの記事は、こうした基本的な事実確認をしないで掲載することも多いのは、経験上知っていた(もちろんそれはただの「手抜き」で、報道機関としては許されない行為だ)。
僕も長くものを書く仕事を続けているけれど、ここまで露骨に嘘を、それも老舗の新聞に書かれたことはなかった。
僕はこのときまで知らなかったけれど、この東京新聞の記事は「大波小波」という匿名記者が、おもに文芸関係のことについて書く連載で、なんと1933年から続いているらしい。匿名の記事は、本来統治権力から報道の自由を守るためのもののはずで、こうやって気に食わない人間を中傷する行為の隠れ蓑にするためのものではない。歴史あるコラムらしいが、この記事は(と、いうが、今となってはほとんど話題になることはないのだが)その名前を汚しているとしか思えなかった。
これが、東京新聞というリベラルを標榜する報道機関の実態かと思うと、暗澹たる気持ちになった。
■間違えても謝罪しない、と言われた日
僕は版元の担当と相談して、抗議することにした。とりあえず事実を訂正したほうがいいのでFacebookとTwitterで問題の記事と、その記事のどこが事実と異なるかをまとめた文章をシェアした。そして、こういうことはインターネットでは珍しいのだけれど、少なくとも僕の本を読んだ人で、東京新聞に載った匿名コラムの内容が正確だと言った人は一人もいなかった。ほんとうに、みんながみんな、僕の述べたとおりこの記事が実際に書かれた本の内容を真逆に歪めて紹介しているということに同意してくれた。かなりの数がシェアされたけれど、東京新聞からは何の反応もなかった。そこで、版元の担当が東京新聞に問い合わせた。すると、半日ほどで東京新聞文化部長の増田恵美子記者から返信があった。
長いので概略を述べると
1.あくまで記事の内容は解釈の相違であって、事実に反したことは述べていない。よって謝罪しない。訂正もしない。
2.「大波小波」は歴史ある媒体で、書き手も高名な評論家なので、きちんとした内容である。
3.東京新聞は宇野を評価している。過去には連載を依頼しているし、著書を好意的に取り上げたこともある。
ということが書いてあった。僕は、このメールを読んで、ちょっと目眩がした。この言い訳は、東京新聞が粘り強く批判を続けている安倍晋三首相のそれとソックリだったからだ。
仮にも報道機関が、事実に反する記事を掲載してしまったというのに、それは解釈の問題だと述べて、誤魔化したのだ。それって「募ってはいるが募集はしていない」と言って誤魔化した現政権とどこが違うのだろうか。東京新聞は、この国に残された数少ないリベラルな報道の牙城だと僕は思っていた。もちろん、東京新聞の内部にもさまざまな意見を持つ記者がいることも知っているし、政治的な見解で同意できないと思うこともある。しかし権力におもねらず、愚直にジャーナリズムの精神を追求する姿勢を、僕は一市民として心強く思っていた。それなのにいざ自分たちがミスを犯したとき、東京新聞は「募ってはいるが募集はしていない」と言って誤魔化すようなことを選んだのだ。とても、とても悲しかった。
ちなみに、2と3にいたってはまったく意味が分からなかった。
2について、「その媒体に歴史があること」も「匿名コラムの書き手が高名な評論家であること」も、この増田記者がそれを誇りに思っていることは伝わったけれど、記事の内容が正確であることの証明にはまったくなっていなかった。歴史と権威を誇ることで、正しさを欠くことを誤魔化せると思ってるのならば、それはとんでもない勘違いだった。(権威が好きな人なのだな、と思った。)
3については、もっと意味が分からなかった。過去に僕と仕事をしているから、好意的に取り上げているから、ということが今回、僕についてのデマを流したことを正当化する理由になると、この増田記者が本当に思っているとしたらそれもとんでもない勘違いだ。好意的に解釈するのなら東京新聞という会社は必ずしも、僕を貶めようという意図があったわけではない、ということが伝えたかったのだろう。しかし、それもデマを流しても訂正しなくて良い理由にはならない。友人に相談したところ、これは僕と東京新聞との関係は決して悪くなかったのだから、見過ごしてほしいといいうメッセージなのではないかと言われた。そこまでの意図があったかどうかは、僕には分からない。しかし、認識がなにかこう、根本からずれているのを感じた。しかし、僕が本当に悲しくなったのは、このあとのことだった。
■お前は不正義と戦えない、と言われた日
そして僕はつい数時間前、SNSのチャットである友人を呼び出した。彼(A氏)は、数年前までとある全国紙の記者を務めていたが、今は退職して、別の仕事に就いている人物だ。新聞関係のトラブルなら、A氏に相談するのがいちばんだと僕は考えた。A氏ならば、新聞社の体質や事情にも詳しいし、何よりすでに業界を離れているので相談しても迷惑をかけないからだ。
僕は一連の出来事をA氏に話して、増田記者からのメールを転送した。
「おそらく、部長名でここまで言ってきたら謝罪はない」それがA氏の予測だった。新聞社の面子の問題として、部長名で拒否した謝罪を撤回することはしないだろう。何が正しいかは、既にどうでもよくなっていて、幻冬舎に東京新聞が頭を下げるという状況を絶対に作りたくないと判断する。新聞とは、そういう世界なのだとA氏は述べた。それがほんとにそうなのかは、僕には分からない。できれば違っていてほしいと思う。A氏は新聞の世界が嫌になって離れた人なので、ネガティブな予測をしているのだと思いたかった。そしてA氏は続けた。この件を大きく告発すればするほど、宇野は新聞から干されるだろう。どれほどいい本を書いて、よいメディアを作って話題になっても取り上げられることは少なくなるだろう、と。
〈中身を見てる人が当事者以外しかおらずそれぞれがそれぞれの分野や業界をかかえてるので、もめてるなあ、ややこしそうだから避けておこうみたいになっていくケースが多いです。〉
〈自分より下の世代の記者は宇野さんの読者はたくさんいるとおもいますし、仕事をしたいともおもってる。でも告発すればするほど企画や書評をとおしづらくなるのは事実です。もちろんこれはメディア側の問題であり、宇野さんの問題ではありません。宇野さんに仕事をお願いし続ける努力と勇気を持つしかないし、そういう気概をもちつづけるよう少なくともかつての後輩たちには言いつづけようとおもいます。〉
〈中身を見たうえで敵視ならまだ救いがというのも語弊がありますが、救いがありますがもっと手前の話です。書いていてむなしくはなるのですが。〉
A氏の言葉を受け止めながら、僕は胸が締め付けられるような思いがした。A氏が僕のことを、とても真剣に考えて忠告してくれているのが、なんというか、とても嬉しかった。しかし、同時に旧態依然としているとはいっても、最低限の倫理のようなものがジャーナリズムの現場には働いているだろうと、頭ではそんなことはないとこれまでの経験上分かっていても、無意識のうちにまだ心のどこかで、考えていた自分が随分甘かったのだと僕は思い知らされていた。
確かに、これが新聞という世界なのかもしれない。だがこのどうせ世の中はこんなものだ、という露悪的な諦めが新聞というジャーナリズムの世界を覆っていて、それが記者ひとりひとりの胸の内ではなく、業界の体質として、組織の公式な対応として表出してしまっている(あの増田記者のメールのように)のは、本当に何かの底が抜けてしまっているな、と思わざるを得なかった。お前は不正義と戦えない、と宣告された気がした。A氏ではなく、もっとぼんやりとした薄気味悪い膜のようなものに。
■結論:お前は不正義と戦えない。ではどうする?
僕はA氏の予測が外れることを期待している。彼もそうだろう。東京新聞にも良心があってほしいと、まだ思っている。しかし、彼の予測に説得力もあることは確かだ。
僕は東京新聞のような大きな組織に比べたら、ものすごく力のない存在だ。ただのひとりの物書きにすぎない。自分の会社で、小さなメディアを運営しているけれど、10人もいない小さな会社だ。『遅いインターネット』は僕のこれからの活動のマニフェストとして書いた一冊で、いま僕たちはこの本で書いた「遅いインターネット計画」を少しでも前に進めるために歯を食いしばってがんばっている。この本は、僕にとって、人生をかけて書いた特別な本だ。その本についてデラダメな内容を書いて、たくさんの人に間違った事実を植え付けられることがどれだけ悔しいことか、増田文化部長以下の東京新聞の記者のみなさんは想像してみてほしい。あなたたちが踏みにじったものがなにか、もう一度考えてみたらいいと思う。あなたたちは組織に守られて、生きているかもしれない。しかし僕たちはあなたたちの流したデマで、死ぬかもしれないのだ。それがほんとうに分かっているのだろうか。それが意図的でなかったとしても、匿名の記事でデマを流すのがどういうことか、何をもたらすのか、考えてくれたらと思う。
そして、東京新聞と同紙と記事を共有している中日新聞の読者はぜひ僕の『遅いインターネット』という本を読んで、例の記事と読み比べて欲しい。そこには、明確にあの記事で紹介されたものとは真逆の主張が記されているはずだ。そして、例の記事ではまったく触れられることはなかったが、この本では情報発信がときに凶器になりえること、民主主義を壊し、社会を混乱させることの危険性を訴えている。僕は人々に安易な発信を促すシリコンバレーのプラットフォーマーたちの作ったSNS社会を批判したが、同じ批判をいま、オールドメディアの東京新聞に向けなけれないけないと思う。
増田文化部長以下の東京新聞の記者たちも、ぜひこの本を熟読してもらいたい。いま必要なのは、もっと「遅い」インターネットだ。そしてもっと「遅い」、最低限度の倫理と慎重さと、そして公平さを備えた新聞だ。以上が、お前は不正義と戦えないと宣告された僕にできる、精一杯のメッセージだ。
僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。