周庭のこと
周庭が逮捕された。彼女は僕の主宰するメールマガジンで長い間連載を持っていたが、彼女から申し出があり2020年の6月で休止していた。事情は、検索すればいくつも記事が出てくるはずななので、そちらを読んで欲しい。この逮捕によって、連載の再開は未定になった(と思う)。
本当は過去のメールマガジンの連載と出演動画を再公開しようと考えたが、本人の意志が確認できないのと、共通の友人のアドバイスに従っていったん見合わせた。その代わりに、僕がこの文章を書いている。今からでも僕らにできることはないか模索しているのだけど、最初に断っておくがここで僕は彼女の熱心な支援者だと主張する気はない。香港の民主化運動にもっと深くコミットしている日本人の支援者は山程いるし、彼女たちの理解者を名乗るに相応しい人や、彼女たちの運動の意義について語るべき人たちは他にたくさんいる。僕はほんとうに「たまたま」共通の友人を通して彼女と知り合い、どちらかと言えばあまり政治的ではない興味関心を通して親しくなった、という関係だからだ。もちろん、僕は香港の民主主義の灯が消えようとしていることに、端的に言って憤りを覚えている。したがって、彼女たちの関わる運動についても自分のメディアで繰り返し取り上げてきたし、彼女に連載を打診したのもそのうちの一つのつもりだった。しかし、運動の熱心な支援者として善人面する気は毛頭ないので、そこは誤解しないで欲しい。
僕は彼女と、雨傘運動の少し後に知り合った。共通の友人である香港の社会学者の紹介だった。僕は当時雨傘運動に興味があり、2014年の10月にはじまった僕のラジオ番組(J-WAVEの「THE HANGOUT」)の初回で、彼に電話出演してもらって目下進行中のこの運動について話してもらったこともあった。その友人が、雨傘運動の学生組織の中心にいた周庭を、きっと僕と気が合うからと紹介してくれたのだ。「気が合うはずだ」と彼が思った理由はひとつで、要するに彼女は日本のアニメやアイドルが好きなオタクだったからだ。なので彼女とは香港で、あるいは東京で会うたびにこうした趣味の話をしていた。『仮面ライダー電王』での佐藤健の登場がいかに衝撃的だったか、とか欅坂46の『エキセントリック』と『不協和音』がどのように日本では受け取られていたか、とか。僕の「推しメン」の横山由依さんが、次の総選挙で何位になりそうか、とか、こうしたことを高田馬場の沖縄料理の店や旺角のフルーツデザート屋で延々と話してきた。
だから僕は、彼女のエッセイの連載をはじめるときに、政治的なメッセージと併せてなるべく日常のことを書いてくれるように依頼した。大学生活のこと、趣味のこと、友達のことなどについてもなるべく書いて欲しいと頼んだのだ。今となってはすっかり党派のスポークスマンとして知られている周庭だけれど、当たり前のことだが等身大の日常の顔がある。僕の読者には彼女と同世代の大学生や若い社会人も多い。なので、自分たちと同じようにアニメやアイドルを楽しんでいる同世代の人が、この「新しい冷戦」の最前線に直面している現実を僕の読者に伝えたかったのだ。
しかし、彼女のエッセイでは香港の状況が逼迫するに従って、どんどんこうした日常の出来事は取り上げられることは少なくなっていった。僕は何度か、ここに記したような意図を説明したけれどエッセイの傾向は変わらなかった。それだけ、状況が抜き差しならないものになっていったことは分かっていたので、僕は強くは要求しなかった。しかし、僕はまた彼女と笑ってアニメやアイドルについて話せる日が来るのだろうかと、原稿を受け取るたびに暗い気持ちになっていた。
だがそれでも、一度エッセイの内容で対立しかけたことがある。詳細は記さないが、周庭がエッセイで用いたある単語を僕は変更するように要求した。それは香港の民主派の間では広く普及している呼称なのだけど、一方の日本では差別主義者たちが特定の民族を侮蔑するために用いている表現だった。僕は事情を説明して、この表現を用いると日本では差別主義者たちに加担することになるので変更してほしいと要求した。彼女は、この表現を用いないと逆に自分の民主派としての立場を裏切ることになると難色を示した。やりとりは何周かして、最後は彼女が折れてくれた。日本の差別主義者に加担することは、彼女たちのメッセージを他の日本人たちに正確に届けることにならないという僕の指摘に同意してくれたのだ。きっと、やり取りの中で僕に腹を立てていたところもあると思う。けれど、僕は編集長として彼女のメッセージが国内の排外主義者や差別主義者に悪用されることだけは避けないといけないと考えたのだ。もちろん、僕も最大限彼女のメッセージが誤解のないように伝わるように、その言葉を用いないのならどのような訳語が適当か翻訳者たちとやり取りしながらたくさんアイデアを出した。
そして、僕は思う。「対話する」とはこういうことなのだ。前提として、互いへのリスペクトと信頼があった上で譲れない一線を伝え、すり合わせる。すり合わせることで、状況を少しでも前に進めるための具体案を練り込む。これが彼女たちが守ろうとしてる民主主義の精神なのだと僕は思う。
香港の状況が逼迫するにつれ、周庭の政治的な発言は多くなり、党派のスポークスマンとしての側面が強くなっていった。その結果、多くの日本の人々が彼女を政治的な色眼鏡をかけて判断していった。それは周庭の選択の結果で、僕が論評する立場には(少なくともこの文章の立ち位置では)ない。しかし、僕が言いたいのは彼女は決して党派の論理に個を埋没させた操り人形でもなければ、イデオロギーに依存して思考停止した人間でもないということだ。彼女は守るべきものがあるからこそ、対話するために開かれた目と耳が必要なことをちゃんと理解している人間だ。そのことは、絶対に誤解しないで欲しい。そして僕は少しでも早くまた彼女と細田守の新作とか、日向坂46の新曲とか、横山由依さんの卒業がいつになるかとか、そういうことをたくさん話したいと思っている。
僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。