見出し画像

人と哲学  クイズとは違うんだけど。

 教育や学習は知識の伝達にあると、皆さんはそう考えますか?

 その通りなのであろうが、「知識の伝達」と言っても分かったようで分かりにくい面がある。例えば「のみ込みの悪い」子は、「伝達」しにくい、頭の悪い子に見られる。しかし、そうとも言い切れないと考えることはできないだろうか。

 先生のその話のきっかけは覚えていない。僕が小学5年生のことだ。個人的な話で恐縮だが、ある授業でこんな話があった。「30分の試験で、同じ100点でも、15分、20分で解くのと30分かかるのとでは価値が違う」と。担任は、言葉は悪いけれど「したり顔」してそう話した。しかしこの考え方には納得がいかないものがあると、僕は先生の顔をまじまじと眺めた。

 「カチ(価値)だって?色々と考えれば時間は必要だし、勉強は何より考えることが大切なはずだよ。そこを限られた時間で計って割り切るなんてことはできないじゃないか。ものを考えた分、30分の方がいい100点ということもあるだろう。」という考えが頭をよぎったのだ。

 解答は「速い方がいい」式の考えに同調する人は多いと思うが、そうとも言い切れないと考えることはできないだろうか。

 中学生になると、困ったもので、僕はだんだん学校の授業には満足できなくなった。教科書も不十分ではないかと思うことがあるようになった。

 例えば、短歌や俳句の授業。中学1年生の時だった。教科書用に偉い先生が書きおろしたものだろう、読んで詰まらないし、だから納得がいくわけではない。そこで、すでに有名だった秋元不死男(俳人、1901~1977)の新書版を買ってきて読むことにした。俳句には興味があったからである。これが中学生にも面白い。

 ある語句が教科書中にあったが、秋元氏の説明の方に説得力があったので、授業で手を上げ、それを紹介した。多分教師は面食らったろう。若いきれいな女性教師で人気があったので、先生を困らせるなと級友たちから文句を言われた。どうもクラスのみんなから嫌われたらしい。(余計なことだが、その後クラス委員長に選出されたのはどうしてだったか。英語など、先生から授業中に褒められていたからか。)

 そこで皆様に申し上げるのだが、この時、教師がどう反応できるかということである。①「あぁそうですか。」と言って次に進む。②「秋元さんの言うことと、教科書に書かれていることとの違いをあなたはどう思っているの?」と投げかける。③「私はよく分からないけど~と考えたらどう?」と自分も学習者の視点でものを言う。④「秋元さんというのはね、」と話を持ってくる。

 他にもあるだろうが、④は横浜市立中学校の国語教師といえども、知っているか否かを問題にすることはできまい。というのは、秋元氏は横浜出身の俳人で当時50代だったのである。もし、秋元氏の戦前から戦後に及ぶ俳人としての歩みの一端でも紹介してくだされば、と思うのは欲張りというものかもしれないのだが。

 ②でも③でも④でもなかった。こういうのって、勉学の機会のあり様は、学校や先生に左右されるということを考えさせられる話ではないかと思う。

 関連して思いだすことは数々ある。例えば数学の「関数」、直線の式、y=ax+bを取り上げてみよう。先生は授業で直線の図を示して言う。「はい、y軸と直線が当たっている所、そこをy切片と言ってbに当たります。そこからx軸に平行して真横に線を伸ばして、丁度いいところで直角三角形を作ってください。y切片でなくても、直線上の座標(x,y)を取って、その直線を斜辺にした直角三角形を作れます。xとyの長さは分かるね。それをx分のyとする。これが傾きaです。それにy切片のbを加えます。bが分数になる場合もあるけれど、y=ax+b、これが直線の式なので覚えておくこと。右に上がっている直線なら傾きは+。左なら-。分かったかな。」こう教わって関数のイメージを固めた人は少なくないと思う。丸は取れるし、取りあえずいいとしても・・・。

 しかし、バカバカしくはないか。言い過ぎのようだが、まるでヨーチエンだ。右(あるいは左)に行って直角に曲がって・・・。少しも面白くない。先生はこんなことを各クラスで毎回行い、毎年行う。数学ってこんなふうに分かっていくものか。まぁ後々知ることになったが、代数と幾何の融合というか「結婚」なのである。意味深い歴史、哲学を背景とするのである。せめてブラックボックスくらいは・・・。断っておきますが、ちゃんとした先生は沢山いらっしゃいます。そういう先生に教わりたかったなぁ。

 数学は、深くて広くて、面白くて、理性や教養や文化という、人間らしい営みには欠かせないもので、ある程度のことは誰にでも分かるはずのもの。関数の意味するところを僕なりに具体的に理解したのは、大学に入ってからのことになる。遠山啓氏(数学者、1909~1979)の関数講義を読んで、目からうろこが落ちた。何とももったいないことだった。直線の方程式、いや関数がそもそも伝わって来なかったのだ。

 先生は、学校(大学)で何を吸収して数学を教えるようになったのだろう。もったいないことだったと思う。こうしたことは、枚挙にいとまがないほど。こうすれば解ける、そして回答欄に答えを書く。そんなことで丸を貰ったって、分かっているとは必ずしも言えない。

 だから偏差値競争とか、模擬テストなどの成績で、分かり具合を判断することを、気持ちはわかるが「愚か」と言わざるを得ないのである。

 「有名校」には、偏差値など問題にせず、新しい時代にふさわしい教具や教材、設備を整えて、基礎を掘り下げることのできる教師が研鑽している「名門」がある。彼ら教師の授業の喜び、教育の価値を知って、世の親たちは、自分の子どもの将来を学校にゆだねているのだろうか。

 (まだまだ続きます!今日はここまで。数学の説明、担当の先生は座標平面で指さしながら説明するので、もっと簡単だけど、そのつもりで書いたら色々欠点が出てきたので、閉口。傾きが同じならy切片がどうでも並行だとか、直角に交わる直線はとか、色々出てくる。その点を補って書き直ししなければと思えば、今度は趣旨から外れてしまうような。お許しください。失礼します。)

サポートは本当に有り難く!そのお心に励まされ、次の活動への大きなエネルギーになります!