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受験をそのままに?貧しいなぁ。

前回「ちょっと寄り道」しましたが、思わず知らず、「持続可能な社会(世界)」の話につながってしまいました。「寄り道」とも言えなくなったんですが、この問題「公教育と民主化」の問題につながります。前々回の続きをいたしましょう。

ボルゴグラード大学の学部長室で、院生たちの質問に答えて。
(扉の写真は同大学でテレビ取材を受けているところ)

 家庭や社会に基盤を置くとしても、教育の世界は、明治5年の学制から、学校と言う教育組織の誕生をもって再出発した。日本の教育史を学んだ人にはよく知られているだろう。もちろん、塾や寺子屋、藩校など、複数の子たちが集まって学ぶ伝統があって、この制度は受け入れられていったのである。しかしそれなりに波乱万丈あってのこと。できれば深く追及する価値があると思うので、よく調べて考えると、現在との関連を見ることができるのではないか、と思う。
 とはいえ、大ごとになるような、あるいは細かいことの検討を行うことは控えたい。学校とくれば進学、その点を意識することだけでも、かなり得ることがあるはずだ。

  さて、ぼくの母方の祖母から聞いたのだが、当時は小学4年生まで義務教育だったから、自分は学校はそれだけしか経験していないということだった。それにしても、よく字を知っているし、アタマが弱いというより、キレルと思っていたから、不思議に思った。
 今、思うと、小学5年の時だったか、その時の祖母との会話が、ぼくに与えたものはかなりのものだったようだ。祖母の父親(曾祖父)は、農民だったと思うが塾を開いていたんだそうな。子どもたちを教えてもいる環境だったから、本を読むことは自然に身についたという。楽器も琴か三味線かで、自分は琴を選んだということだった。
 義務教育の小学4年から上を望んだ風ではなかった。曰く、「勉強はね、志よ。自分で学ぶものよ。わたしは、そう思ってものを読んで育ったから、上の学校へ行った人に、引けを取ったことはないわね。男女を問わずで、男だからって思わないで来たのよ。」と言い切った。

抱かれているのがぼく。川崎で。1948年だろう。親父は背広にネクタイだ。
両親にとって、この頃が一番幸せだった。二人は結婚15年を過ぎてから、離婚した。

 思いだして、うーん、と思う。ぼくが中学2年生の時の国語の授業が直ぐに思い浮かんだのだ。教科書の記述(短歌)に引き込まれず、その時妙に悔しく思い、これは別の人のものを読んでも同じなのだろうか、だとすれば少なくとも和歌はダメだな、と思ったのである。そこでその日の内に、有隣堂(横浜では有名な図書館のようなビルの本屋さんで、伊勢佐木町にある)に立ち寄って、新書(秋元不死男氏の本)を買い求めた。著者は存命で、その名前はぼくですら知っていた。その上、地元が横浜だったから買ったのだったが、全く別世界に出くわしたようだった。説明が大変面白いのだ。
 次の授業が待ち遠しくなった。だから思わず授業中に手を上げて、教師(若い先生で優しく、美人だったので生徒から慕われていた)に、教科書の記述への疑問を申し述べた。先生は驚いたことだろう。国語の教師とは言え、和歌を深く理解しているとは限らない。うまく答えることができなかったと思う(後で級友たちから嫌味を言われた)。
 そこで、あぁ、勉強は自分で学ばなきゃ仕方ないもの、教科書だからと言って、最高の記述をしているとは限らない。分からない生徒の頭が弱いというわけではないんだ、と思ったのである。
 中学3年生の時、英語にも疑義が生じ、早稲田の英文出身の若い教師に食らいついたことがあった。先生曰く、「お前な、俺も大学を出たころはそれに近いことを思っていたが、今は受験のために形式で行くしかないと思っているんだ。」と職員室で言った。そうなのか、評判がいいし、生徒は一生懸命筆を走らせているしなぁ。それは仕方ないとしても、先生は文法SVOと切り替えていいかも知れないが、ぼくはそうはいかない、と思ったものだ。
 ちなみに、受験英語はこの先生に教わるのが一番と言われていた人だった。ぼくはと言えば、学年でも一番できる部類にいると思われていた。しかし、自分で開拓し理解していくには、NHKの講座では限界もあった。だからというか、やがて英語の勉強を後回しにするようになってしまった。以来ぼくの疑問に答えてくれる教師に出会うことなく、国際会議に出るくらいになって、いろいろ考えてようやく自分で理解できるようになった。哲学(ものを根源から疑い、考える)のお陰である。点数や学校の成績で云々される話ではない。

 この手の話はまだまだあるが、それらを顧みて思うに、きっと婆さんの一言が、奥深いところで僕を突き動かすもの、あるいは「ハズレ」た道(笑)を歩ませるものとなったのだろう。 

京都自由大学を代表して(左から2番目、マイクを握っている)。韓国ソウル近郊。

 公教育と民主化だが、その前に立ちはだかる大きな壁は、「学習」、「勉強」の中身だ。ちなみに母はその祖母の子なのに、勉強が好きで、特に算数が得意だったと言っていた。小学5年の時、母が文章題などを「手ほどき」してくれたが、何のことやらサッパリで、やがて教えるのは止めた(大正解!)。父はといえば、俺はカネで入って、カネで出た、と平気でいうような男で、語学(中国語と英語)以外はさっぱりだったと、言っていた。ぼくはそれを信じていたのだが、県立の学校だ、カネ次第だとか、そういうふうにして通るわけはない。

 科学や知識の優れた先生や学校もあろう。だが、それとても避けて通れないのが、「受験」である。早い話が、受験成績が良ければ「いい学校」ということになる。あれやこれやと成績にこだわらざるを得ない。「閉塞知」オンパレードになりかねない。成績の極めて良い学校の生徒たちには、ガミガミ言う必要もないようだが。一方、低いランクに位置する学校は、非行化や退学者を考え、勉強以外の取り組みに一生懸命取り組まなければなるまい。

 報道はといえば、どうしたら勉強するようになるか、どうしたら成績が上がるか、といったようなことだけあれこれ情報を集めている。これを変えろ、というのは無理だろうが、学校の中には、その傾向にとらわれない教育を追求するところもある。そうだとしても、受験制度や内容そのものには肉薄できない。せいぜい詰込みの知識は止めよとか、もっと考える問題をとか、記述を増やせとか等々、批判はあるにはある。CMには、人気のマンガイラストを駆使したり、成績アップの他、個人指導や分かるところから教える、あるいは学費2ヶ月無料など、車内に至るまで、売り込みの言葉や映像が広がる。

 話が逸れそうだ。元に戻す。では、道がないのかといえば、ある。勉強の中身を検討し、時代の先端を担う子どもたちを広く生み出すという意思を持ち、エリートなる語に翻弄されない人々の出現と発言、そして実践にかかっている。もちろん、最新の機器をうまく取り入れた授業の工夫も、大いに進展させていかなければならないのである。

 続きは次回で!

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