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黙っていたって、しょうがない!

 2022年(令和4年)がもうすぐ暮れる。2023年(令和5年)がすぐそこまでやって来ている。再開したこのnoteブログも、今年を振り返り来年に臨もうとするのだが、通り一遍で済ませることが出来ない。
 コロナのことワクチンのことなど、昨年から引き続いた問題の先が、見えるようで見えない。これ一つ見ても、大変なことである。
 しかも、今年の2月、ロシアがウクライナ侵攻を本格的に始め、中国、北朝鮮、台湾など、きな臭い話が収まるどころか、反対に戦争が身近にある年、こんな年は歓迎されない。

「戸田ボートコース」表紙もそうです。1月の写真です。左側には各大学の立派な部室の家並が連なり、ビックリしました。ボート場のイメージは、気持ちを落ちかせ、とてもいいものです。

 僕には、60年代後半の学生運動と同時に、グループサウンズやこれまでと一線を画した気軽な若者のポップス、新しいファッション、車とバイク、江の島のレジャーなどを思いだす。しかしその頃から、情報の危うさを感じることが多かった。
 
 世の中には、論を放つ人々が賑やかにいる。それは大いに結構として、いったい何を問うべきなのか、考えるべきなのか。
 先日のネットで見つけたのだが、国際交渉人という島田久仁彦さんがいることを知った。彼は、米国の大学院でエライさんを招いて、数え切れないほどの議論を重ねてきたが、「今でもどうしても慣れないのが、元軍関係者、特に作戦司令官の皆さんが戦争をまるでスポーツのゲームを見ているか、アメフトやサッカーの試合の戦略分析を行っているかのように語ることです。」と語っている。(12月19日、まぐまぐニュース)
 僕も、テレビなどの諸氏の発言を見聞すると、「スポーツのゲームを見ているか、アメフトやサッカーの試合の戦略分析を行っているか」と思うことがある。しかし短い時間に取り上げられるのはその発言だけだから、論者の本当のところは分からない。しかし、番組を作る人たちは論者ではない。目を光らせて考える必要があるだろう。

上野公園で(12月)

 視聴率を上げることが大切であることは、何もテレビだけではない。すべての仕事には同様のノルマというものがある。しかし、それが目標の第一になってしまえばどうなるか。多分、ちょっと考えれば「そりゃ、まずい」と思うところではないか。当面の自分のことしか思わなくなってしまう。
 その種の現場となればどうなる?「後は野となれ山となれ」になるしかないだろう。御免こうむるのは、社会性乏しく無責任であっても、ものを作ることができるんでは、ということだ。もっと言えば、分野によっては、その方が「出世」できると思い込むことだ。

 心ある人々はいい番組を作る。社会派の番組であれば、人の知らないことを伝え、考えさせる番組を苦労して作る方々がある。時間的にも簡単に作れるものではないし、その方々の品位やプライド、使命感と言うようなものが弱くては困るだろう。

 しかし、「後は野となれ山となれ」がまん延していないか、と思う。人間は、オギャァとこの世に生まれてから、親、家族、周りの人びと、社会、時代によって育つわけだ。言うまでもなく、一様ではない。一様に近いのは、学校を介した教育であろう。教育は教師あってのもので、これまた様々に言われ、話題には事欠かない。だが、重大なことがある。教育の質ということである。

 年が暮れる。来年は、政治や社会に関係することを思って書かなければならないだろう。教育の質、受験制度等のことも逃すわけには行かない。

 皆様、良いお年を!良い年になるよう、一歩でも前に進みましょう!


 (今年は私的に色々でした。中でも7年間の闘病生活を経て亡くなった親しい友、世話になった友の死がこたえました。その友を偲びつつ今年を終え、来年に元気を出して向かいます。)


 


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