板書を写すな、ノートを取れ

タイトルは,私が以前教えていた塾でお世話になっていた大先輩の言葉。これは今でも金言だと思っていて,改めて話をしまくることはないが,授業の組み立ての基準の一つにしている。今回言いたいことはこの一点なので,記事も短い。

解答プリントの配布

私はよく授業のときにこれをやる。目的はいくつかあるんだけど,純粋に板書の量を減らして時間の余裕を作るということが大きい。そして,時間の余裕があるということは,学習者が考える時間が増えるということでもある。

板書を写すと,人間の意識はどうしても「正しく写す」ことに集中してしまう。その間も思考するということは一種の特殊スキルみたいなもので,訓練なしに行うのは難しい。たとえば中学受験向けの進学塾で,「板書を写す時間」を講義の時間とは別に設けているところがあるが,これは講義時間の間はちゃんと思考させようという意味だ。

東大合格者のノート

こういった感じのタイトルの本がある。ポイントがまとまっていて自分の疑問が書き込まれていて云々というやつだが、私にはあれがどうしても標準だとは思えない。多分かなりの東大生のノートは「ただの落書き」ではなかろうか。そして講義ノートとはそういうもののはずだ。

本に収録されているのは講義中の落書きをあとからきちんとまとめたものですよ、というのなら合点がいくが、ああいった「完璧なノート」を講義中に作ろうとしないように。講義が聴けなくなるよ。

余談だけどああいうのって絶対東大生であって京大生じゃないよねw

本当のノート

真の講義ノートとは、メモであり、落書きである。そして、内容を自分の言葉で書き直したものを復習の際に作れば形式はどんなものでも構わない。あとから見直せるように作る必要はない。どうせ見直す確率は1割もない。まさにノートを作るそのときに、深い理解を獲得すべく頑張りたい。

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