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アラスカで色々なことに触れた話


-ニートなわたしと変人
-怠惰なクリスチャン
-無宗教代表は荷が重すぎる



 アラスカに住む友人の一軒家で1ヶ月足らずのニート生活を送っていたわたしの日々はだいたい決まっていた。
というのも、移動手段が車しかないからだ。最寄りのスーパーはハイウェイを使って車で10分、街まではこれまたハイウェイを駆使し車で20-30分かかる。ネットも家の中でしか使えないので、方向音痴のわたしが散歩で行ける距離にあるのはタコベルと小さな酒屋さんと小学校くらいだった。
今思えば住所をメモしておいて、最悪迷ったら人に聞くなんてこともできたであろうけど、こんなところにまでわざわざ十数時間もかけてきたというのに白夜の不安定さにすっかりやられていたわたしは、雑草に養分を吸い取られた枯れ木のようにしなっとしていて、意志というものがまるっとすっかり消えていた。
怠惰だ。
昼前に起きて、誰もいないリビングにある大きなソファに座り、なんとなくの流れでNetflixの画面開き、ぼんやりアメリカドラマを観る。

14時になると友人のルームシェア相手が帰宅する。
わたしは彼と過ごす、少しの時間が好きだった。
健康オタクで神経質の彼は帰るとコップ一杯のキュウリ水をぐいっと飲み、鶏肉とラズベリーをノンオイルで炒める。ヘルシーランチ後は必ずVRを装着し、プレステ5で激しいリズムダンスをする。ストイックな帰宅後のルーティンだ。なのにどうして彼のお腹は少し膨れているのだろう。
小学1年生レベルの英語力のわたしと彼が毎日一緒にすることは、きまってマウンテンバイクで数十エーカーという巨大な森のトレイルを駆け抜けることだった。これは本当に気持ちがよかった。

優しい木漏れ日が差し込むどこまでも続きそうな深い森の中の一本道を抜けると、馬の駆ける草原に入る。足元の悪い下り坂でブレーキを握らず一気に急下降すると、木の実や花が散りばめられた、綺麗な庭のような空間に出る。
こんな贅沢な森林浴はしたことがなかった。空気はおいしいし、視覚的にも楽しいし、デトックス効果もある。
ニート生活の罪滅ぼしをしている感覚もあった。

ただ、一つだけ欠点があるとすると、動物の危険性だった。
息があがってくると、徐々に焦ってくる。
わたしは絶望的に体力がない。

“DANGER”
“BEAR”
“DANGEROUS”

こんな具合で数十メートルおきにクマ注意の看板が立っているし、鮮度高めのクマのフンや、クマが木で爪を研いだ跡地が点在している。

人間の憩いの場であるこの自然公園は、熊の住処でもあった。

だからわたしはいつも、半分の体力を残し、そろそろ森を出ようと彼に言うのだ。

万が一、クマが現れたとして、死に際にお互いのいやらしい生存本能をみせ、深い亀裂が入り、みっともない命の争いなんかをきっとしてしまうのを考えると、なんとなく嫌だった。

命の危機に面していない今のわたしは彼に生きててほしい。
安全なところにいればいるほど、人は慈悲深くなれるのだ。

そのあとは友人が帰ってくるまでぼけっと何もしない時間をふたりで過ごす。

そういえばある日、してあげたいことがあると言ってわたしをゲーム部屋(彼の部屋)に招かれたことがあった。
彼はおもむろにわたしの目にVRのビューアーを付け、両手にコントローラーを握らせた。
しばらくまっていると、わたしは唐突に宇宙空間に放り込まれて、一連の操作説明をされる。

Googleearth(VR)での世界旅行、もっというと宇宙旅行は、彼なりのわたしへの最大級のおもてなしだったらしい。
わたしはVRを装着したまま、1時間ほど彼の部屋に突っ立ってバーチャル世界の地球を網羅したのである。
10分そこらで飽きがきたけれど、彼の心に気を遣う。
いよいよすることが無くなったビューアーを外した時には、彼は部屋に居なかった。
こういうことってよくありません?

18時ごろに帰ってくるわたしの友人は、一週間が経つ頃には、「今日は何していたの」とわたしに訊くことは無くなっていた。

友人はわたしを色々なところへ連れて行ってくれた。
アラスカの夜の遊びを魅せてやるといった彼の踊りは実にへたくそで面白い。

ブッシュカンパニーというストリップクラブに連れて行ってくれた日は、全裸の女性がポールダンスをしていて驚いた。彼の方を見ると、なんだか落ち着きが無くまわりをキョロキョロと見ていて、それどころではないようだった。

またある日は深夜1時に小さな山の山頂に行くと、彼はまたストリップクラブでみせた挙動に近付いていき、キョロキョロと周りを警戒したあとポケットからスッとマリファナを取り出し、悪い笑みをわたしに向けたのだ。数百メートルごとにウィードショップがあるくらいマリファナがメジャーなアラスカ州なわけなのだけれど(合法州なので)、わたしたちはまるでいけない秘密の共有をしているかのようにひっそりと煙を吐くのだった。

そう、彼はクリスチャンなのだ。彼の所属する教会は比較的厳しいらしく、お酒やタバコ、マリファナなどの嗜好品は原則禁止だった。もっと緩めのところに行けばいいのにと言ったら、どうやら教科書に載っているキリスト教の宗派はおおきい括りの一部に過ぎず、そこからもっとずっと細かく分かれているらしい。厳しいけれど、今行っているところがいちばん自分の価値観と合っているのだと言った。

「街が小さいから、いつどこで同じ教会の人に遭遇するか分からない。誰が誰に噂を流すか分からない。だから気をつけなくちゃいけないんだ」といった彼なのだけれど、もうすっかり酩酊状態で、午前4時の街の車道のど真ん中を闊歩する。

瞼がそろそろ重くなったわたしは、ようやくやって来た澄み切った夕焼けの空を見て、日本の午前4時を想像する。日本の午後4時がなんと冷たいことだろう。

ある日曜日、キリスト教を信仰しないわたしに彼は、教会に連れて行った。わたしは彼と一緒に礼拝をし、説教を聞き、聖歌を数曲歌った。
「どうだった?」
「すごくいい経験だったよ」
「日本でも、教会はあるでしょ。そこでお祈りするといいよ」
「え?」
「え?」
23年も無宗教の家庭に属していたわたしに、たかが(といったら失礼だけれど)これっぽっちの体験で、ミリ単位だとしても、信仰心というものが芽生えるはずがない。かけらも無い。
祈った直後に大金が舞い込んでくるという事実があれば、簡単に入信できるかもしれないけれど。

日本社会という、大きな土台の上をじめじめと歩いてきたわたしだ。

「わかった」

彼は何か決意したようだった。
彼は、俺の尊敬する頭のいい牧師と話をしてきてとわたしに言った。
「決着つけてこい」
宗教観でわたしが対立する立場にいると思っている彼は、勝負のように投げかける。
勝負心のようなものはまるでなかったわたしだけれど、文化や宗教を身近に味わえる機会はなかなかないと思ったので、日本代表、無宗教という大きすぎるの旗を怠惰に掲げたわたしは牧師の家へと向かうのだった。

つつましくも、暖かい家だった。テレビやパソコンの代わりに本やピアノが置いてある。暖炉の火に見とれていると、あうあうと喃語が聞こえてくる。
牧師は赤ちゃんを抱えてこちらにやってきた。願わくは母になりたくないわたしが初めて、こんな生活ができたら幸せなのだろうと自然に思ったことに内心驚く。
牧師は25歳で、物腰も雰囲気も表情も何もかも、穏やかで柔らかい青年だった。あとからやってきた妻はわたしと同い年で、彼女もまた彼と同じ雰囲気を醸し出していた。

話は、とんとん進んでいく。

わたしはニュアンスの恐ろしさを知っている。
コミュニケーションとは、ときに単語単語にくっつける曖昧な言葉がほんとうに重要になったりするのだ。語尾の一文字が、大事だったりするのだ。

わたしの英語力は、小1英語ではない。空気のまるで読めない小1英語だ。
わたしは精一杯、相手を傷つけないような言い回しを心がけた。

nelson :まず、どうしてキリストを信じないの?
わたし: 大学で色々な宗教を学んだのもあって、宗教に合理性を感じてしまう。
Nelson:合理性?
わたし:(英語で説明できなかった)
わたし;それに、わたしのいる文化にキリスト教がなかったから。わたしは無宗教の親の元で育った。あなたたちが幼い頃からキリスト教を信じるきっかけを持っていて、それを信じるように育てられてきただけだと思う。
nelson: 天国は信じるの?
わたし: •••••ときどき(笑)
nelson: ときどき?(笑)
わたし: うーん。例えば「悪いことをすると天国に行けなくなる」みたいな文句があるし、天国を意識するけど、かといって本当にあるのかってなると 「いや、ないだろ」って現実的になるというか。死んだあと何が待ってるかわからないから何も信じていないと言うのかな。(絶対ここまで喋れてない)
nelson: 確証がないから信じないってこと?
わたし: 多分。あと、宗教の数が信憑性を無くしてるのかも?
nelson: キリスト教が1番信憑性があるんだよ。どの神話よりも。他の宗教はどれも良くないんだ
わたし: きっとそれは1番身近な宗教だったからだと思う。例えばあなたがイスラム教徒の家庭に生まれたら、きっとイスラム教が1番だと思ったはず。 
どの宗教も違うけど、根本的なものは同じな気がする。願うのが平和だったり。苦しみから逃れる一つの手段だったり。分からないものを解決しようとしたり。(伝えようと頑張ったがここまで言えない)
nelson: それはたしかに
nelson: ただ天国はあるよ
わたし: 例えば私が誰かを殺した後に、クリスチャンになってお祈りしたら天国に行けるの?
nelson: そうだね。
わたし: えぇ、それだと不公平じゃない?
nelson: イエスキリストが僕たちの犠牲になるからね。誰も皆んな罪を犯すでしょ。問題なのは罪の重さじゃないんだよ。盗み、嘘、殺人、自殺とか、人間は皆罪を犯してるはず。でもイエスがすべての罪を被ってくれるわけ。イエスは世界中の人を平等に愛してるけど、(肝心な部分をわすれてしまいました。どういうわけか信仰者にのみその効力が発揮されるそうです)
でも信じれば、救済を求めれば必ず助けてくれるんだ。
わたし; そういうことだったんだ…でもじゃあ例えば私が本当に凄く良い人で、嘘もついたことなくて、誰かに殺された。でもクリスチャンではない場合は?私は天国に行けないの?
nelson: 本当に人生超潔白なら行けると思うよ。でも嘘もついたことない人なんていないでしょ?(笑)
わたし:(笑)
nelson: 天国を信じないのに何故良い人でいられるの?
わたし: わからない。なんでなんだろう。そういう文化のもと育ったからかな
nelson: どうしてあなたは生まれてきたと思う?
わたし: 分からない!
nelson: 私たちが良いことをするために創造したんだよ。人に尽くして、助け合うの。 たくさん考えて、学んでくれたら嬉しいな(彼はもっと長文で話のまとめを話していたが記憶力とリスニング力の無さで書きおこせない悔しい)

わたしの脳内がパンク寸前なのを感じ取った彼は、優しく笑った。
帰り際、辞書のような厚みのある日本語の聖書とDVD、児童向けと書かれた旧約聖書の絵本をプレゼントしてくれた。
とても素敵で、有意義な時間だった。頼りなき無主教代表は、責任逃れのようにその大きな旗をポイっと捨て、重厚感ある聖書を快く受け取理りハグを交わす。
永遠に、停戦である。
なぜなら決着がつくことなんてないのだから。

決着がつかないことを理解すればちょっとだけ平和に近づくのかなと思ったり思わなかったり。
親切心や正義感は、時に暴力になってしまう。
どうしたものか、この世界。

宗教についてもっと勉強したいなという意思が湧き出てきた。
理解する姿勢を持ってから、改めて受け入れられない。この改めてが実に重要だと思うのだった。

あーあ。わたしにもっと時間があればな。


ー日本の昔の宗教は神が何にでも宿ってるっていうんだよ
ーどういうこと?
ーたとえば雨の神、雷の神、空の神、海の神、木の神、米の神、イスの神とかどれも
ーそうなの?面白いね
ーきみは精神病んでるから病の神様だね
ー酷い!おれは笑いの神様だよ。類稀なる人を笑わせる力があるからね!
ー(笑)
ー天国に行ったらなにするつもりなの
ー今の仕事だよ。現世の仕事を受け継ぐし、今の仕事が大好きだから
ー天国は幸せ?
ーそうだね。苦しみっていう概念がないから
ーいいなあ、でもわたしは地獄なんでしょ
ー火のお風呂に入るんだよ、毎日
ーお風呂好きだからいいかも 日本人はお風呂すきです
ー火だってば!
ーいますぐ死にたいのは天国に行きたいから?
ーそうだね
ーいいなー、信仰があるの
ー(怒)

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