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時に心地わるい「新しい」さえ、楽しむ。 #探究ノート

その日ぐるぐる考えていたことを、ばっと書き出す。それがこの「  #探究ノート  」になります。探究のリズムと、回転数を上げたいためのものなので、一生未完成ですみませんが、宜しくお願いします!

組織のメンバーに対して、唯一求めていることがある。
そしてチームづくりで、最も大切にしていることがある。
それが「探究」することだ。

ベンチャー非営利組織の青春基地には、学生、社会人いろんな人たちが集まっている。できる時に、できる力を貸してもらいながら舵を進めているので、基本的にスキルや能力を問わない。その代わり「みんなの脳みそを共有してください」といつも話している。

この「探究」とは、自己流だが、言い換えれば「思考する」ことで、青春基地という船にのって、共有している問いや課題を、現場で見えた葛藤を、みんなで考え続けましょうという意味で使っていた。
そして「探究」とは「好奇心」であり、個々人にしかない心が震えることを、気になってしまうことを仮説検証してほしいというメッセージだ。一人ひとり、その人にしかない視点や感情を武器に、素材を調理していく作業が探究であり、基本的には人が集まるほど、議論は重層的になることになる。多角的に、多分野から、異なるプロトコルを使って、一つのテーマをぐつぐつ煮ることで、面白い"なんか"を発掘していきたい。
いや、大真面目に真剣に言えば、そんくらい重層的に見ないと、課題解決の糸口はぜんぜん見えないくらい難易度が高いと感じていること、そしていろんな他者を巻き込める言葉を持てないと思うからだ。

そして、今日は「探究」の3つ目の意味らしきものを見つけた。
「探究」は"新しい"を楽しめること、だと思う。自分が見つけたかった問いの答えや、探究中に新しく出会う概念や価値観は、必ずしもその時の自分には、心地のよいものだけではない。むしろ過去の自分史を否定されたり、一生懸命取り組んできたことが崩れたりする。自分なりの思考回路とか、フレームワークが、時にはそれに紐づいた自分のプライドには、はまりにくくて、ちょっと脳内のブレーカーが落ちそうになるときもある。
でもなんとか前に進むと、自分の視界が、分度器一度分くらい広がった感じになる。前の角度じゃ見えなかったことが見えて、すごく楽しいし、自分の足りなさを受け入れるのは厳しいかと思えば、むしろ材料が増えると安定感がちょっと追加される感じがある。
その「なんとか前に進む」をしないと探究は厳しいんじゃないか。「なんとか前に進む」、これからも何度もやってこ。

表紙photo:Inoue Lyo

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