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人間の<異常すぎる共感力>と、<めんどくささ>について

こんちは。
ここ二週間の天気は最悪でしたね。
が、昨夜の台風がガサッと空気中の塵を吹き飛ばして、今日はカラッと快晴。悶々とした二週間に考えていた言葉がやっと整理されてきたような、こういうエモい時に、文章は書きたくなります(笑)
ハーバードビジネスレビューの岩佐さん、小布施の大宮さんに触発されて、日々感じている些細なことを綴ってみたいと思います。


事なかれ主義への悔しさ

最近の悩みは、生き方論。高校生たちと日々関わる仕事をしていると、本当にたくさんの生活環境が見えてくる。どんなお父さん、お母さんなのか、どういう考え方なのか。日々何を言われて育っているのか、どんなことにお金を使ってもらっているのか、など。その中で、しんどい状況に過ごしている子どもほど、「事なかれ主義」の仕事ばかりする人たちに囲まれていることが見えてくる。
たとえば家で暮らしていない高校生がいる。となれば責任を持つこと、気にかけるのは家の代わりの施設になるんだけれども、旅立ったあとは緊急連絡先にもなれないと言う。それで申請できない奨学金がある。来年からどうやって生きていけと言うのだろう。
何のためにその仕事に就いているのかと、悲しみと、なにより自分の目の前には、心底尊敬するほど努力をしている高校生がいて、すごく、すごく悔しくなる。前に進もうとするほど、絡みまくった糸に何度も転びそうになる。しかもその糸を紐解けば、解決困難な課題ばかりがどっしりとぶら下がっているのだ。見ていて日々が戦いだ。それなのにどうして、さらに、しょうもない大人の責任逃れに人生を邪魔されないといけないのか。

顔をあげて周りを見渡してみる。これ残念ながら、ネットでも、教育でも福祉でも、やっぱりあらゆるところで「事なかれ主義」が起きてる。相手の考えていることを不在のままに、言動を繰り返す人たちがいる。
それにがっかりしてしまって、今度はだんだん落ちこみはじめる。自分のことでもないのに、疲れきった自分がそこにいる。

<異常すぎるほどの共感力>から背を向ける

先日、京都大学の総長・山際先生が日本哲学会で、人間の固有性つまり動物との違いがあるとすれば、それは<異常すぎるほどの共感力>だと言っていたそうだ(大学院で教えてもらった)。今週ずっと頭から離れない言葉だ。
なるほど、自分の疲労感は、共感ゆえにおきたんだろう。なんだか、おせっかいで勝手なものだ(笑)勝手に共感して疲れるだなんて(笑)

でもそう気づいたとき、「事なかれ主義」は他者に関心がないからではなく、共感しちゃうからこそ背を向けたくなるんじゃないかと思った。自分が心底嫌に思ったひとたちは、自分の中にもいたということだ。疲弊の先には、背を向けたいという気持ちだってゼロじゃないだろう。
共感の先にある事態は深刻すぎるほど、複雑で、言ってしまえば面倒くさい。めちゃんこ面倒くさい。しかも課題は個別化していて、きっとどんどん複雑になっている。一つのソリューションだけじゃ解決は厳しい。そもそも、近代社会は<面倒くさい>から逃れたくて、みんな都市に流れたし、技術を発達させてきたみたいだし。

今、自分は揺れている。

今、自分は揺れている。疲弊するけど、それで退化してしまって背を向けるくらいならば、20代はまずは、解像度高く人と出会いたいとも思う。<面倒くさい>から逃れるシステムをつくってきた弊害を、その気持ちを認めながら、どう乗り越えるかを考えてみたい。
NPOという生き方を選んだ自分にとって、そういう<間>にある出来事や、人の気持ちこそ、課題の本質がずっと見逃されて横たわっている気がする。そこにしか<面倒くさい>を認めつつ、乗り越えるヒントは無さそうな気もする。

一方で、共感しすぎて、全部に悲しんだり、全部喜んだり、なかへ入るほど、心がもたなくなってくる。時間もものすごくかかるし、どんどん風邪を引いたり、生命力が落ちていく・・・(苦笑)きっとどこかで境界線を引いた方が、仕事も進んで、賢いんだろう。
きっともう少しうまい距離感があるのだとも思うけど、でも今、自分は揺れている。自分は、どういう生き方をしていきたいんだろう。はてはて・・

2017年10月23日

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