「夢見がちな青春と、これまでのこと」

突然だが皆は青春と言ったら何を思い浮かべるだろうか。
その答えは人によって異なってくると思う。

私にとっての理想的な青春は、音楽について語り合ったり、勉強を教えあったり、テスト勉強をしたり、週末には音楽好きの友人とレコードショップやCD屋に出向き、色んな音楽を知ることだった。
こんな青春は多分もう二度と訪れないんだと思うし、夢見がちな青春だとも思う。

残念ながら自分にはそんな青春はほとんど皆無だった。

友人と音楽について語り合うことが出来なかったのがいちばん悔しかったが、何より誰とも会話を交わすことなく勉強というものにあまり触れなかったことが人生の後悔として、残っている。心の中に大きな黒いシミとなって、「勉強しなかった」という事実が心の中に重くのしかかる。
恥ずかしながら私は中学高校時代勉強というものをほとんどしてこなかった。
学校にも昼頃からしか行けず、遅刻してばかりの日が続いた。
保健室と相談室に篭もる日々が続いた。
昼休みの時間には自分の座る場所がなかった。
それに加え中学高校時代には教師や生徒からの陰湿な嫌がらせや容姿いじりや足の障害に対するいじめに近いものを受けていた。
それも6年間も。
だから私は友達を積極的には作らず(有難いことに喋れる友人は数人居たが)、群れる彼女彼らを横目に、常に1人で行動していた。
教室にいるのが本当に息苦しかった。

教卓の椅子を借り、弁当を食べたり本を読んだりしていた。
あの頃、あの場所には私の居場所は完全に無かった。
私にはみんなでトイレに行く、大人数で食事をする。群れて行動する。
そんなことの意味がよく分からなかった。
なぜみんなと一緒の方が安心するんだろうか。
心の奥底でみんながみんな気持ち悪いと冷めた目で見ていた私が居たのだ。
そのせいか完全に心のシャッターを閉ざしてしまった。
人と関わるのが怖くなってしまった。
その頃から同級生や教師に対しての信頼も置けなくなってしまい、人を信じることが一切出来なくなってしまったのである。

人生を新たに変えようとした時に世界はコロナという未曾有の感染症にまどわされ、更生するつもりで意を決して入った大学でもその後遺症というのは続いた。
とにかく自分の心の浮き沈みとの戦いの日々が続いた。
大学一年生の冬。
期末の試験があった。英語の試験だったが、
全く分からず試験中に泣いてしまった。
英語の試験をしている最中に、もう自分は何も出来ないと思うと、中高の頃のいじめられていた惨めな自分がよみがえってきて言葉に言い表せないほどの苦しみに襲われた。
過呼吸を起こし、もう自分は生きる意味が無い。いっその事死んでしまえたら楽なのに。と思い、心が枯れ、フラフラの状態になりながら地元のイタリアンチェーンについて、食事をしていた最中にしんどさがMaxに達してしまい、年甲斐もなく店で叫んでしまった。叫ぶほど苦しかった。
頭や体は熱く硬直し、足や手はとても冷たかった。
もうどうしようも出来ない、死んでしまうと思った。苦しくて暴れた。
母に救急車を呼んでとお願いをした。
救急車に乗せられて、救急病棟に運ばれた。
吐き気もして吐いた。熱を計ってもらったら8℃近く熱があった。

外に出るのも怖くなってしまい、人と関わるのも怖くなってしまった。常に人と自分を比べて外に出ていた。
今もその名残がずっと続いているような気がする。
2021年6月頃から私はメンタルクリニックを探していた。
最初にあたった病院では、診てもらった女医と相性が全く合わなかった。
それから数ヶ月。
2021年の10月か11月に、今通っているメンタルクリニックにたどり着くことが出来た。
その病院でようやく私はうつ病という診断を受けたのだった。

2023年8月現在。
私は今も、うつ病と感覚過敏と闘っています。
そのための薬を毎日飲んでいます。
うつ病や自分の病気や感覚過敏に関連する本を読んでは、卒制のノートに書き記しています。