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東海道旧道スローサイクリング

4/14(日)、出力過剰T君と待ち合わせして、東海道旧道を少しばかり走ることにした。かねてから、由比(ゆい)のとあるカフェに自転車で行くことを誘われていたのだ。距離はたぶん往復で30kmぐらいだろうから、最近長距離を走っていない私でもなんとかなるかなと思って、ケルビムのランドナーを引っ張りだした。

集合時間はJR清水駅東口に12時というおっとり刀であったが、その時間より10分ほど遅れて私が到着すると、T君はまだ来ていない。しょうがねえなと、電話してみると「今出るところです」と言う。そば屋さんみたいだ。

最近以前のような健脚に戻りつつある彼がどんな自転車で来るのかなと思っていたら、ダホンの20インチであった。まあスローサイクリングだし、すっかり貧脚中の貧脚になってしまった私と走るのには、それぐらいのほうがありがたい。

合流しては北に向かって舵を取り、静鉄の旧清水市内線のあとの自転車歩行者道を進む。ほどなく庵原川の河口付近に突き当たる。ここで散り際の桜に出会い、ちょっと撮影時間を取る。

庵原川の河口に近いところ。昔はこの川に静鉄清水市内線の鉄橋が架かっていた。

庵原川を旧国道1号(今は県道)で渡って、再び線路跡の自歩道を進む。すぐに横砂の保育園のところに出る。保育園は以前終点の横砂駅があった場所に建てられている。

ここから東海道本線の踏切を渡って、線路伝いに進み、いよいよ東海道の旧道に入る。が、これはすぐに終わり。旧国道1号を走る。坐漁荘や清見寺の前を通り過ぎる。

1万円札をくずしておきたかったので、興津駅入口を過ぎたところにあるコンビニに立ち寄る。三ツ矢サイダーの飴を買う。ぼちぼちお腹も空いてきたが、次の由比でカフェがわれわれを待っているのだ。

興津川を渡る手前で、太平洋岸自転車道に入る。気分的には薩埵峠を通りたいところであるが、しばらくぶりに中距離を走るので、行きに登坂をやってしまうと、あとどうなるか分からないので、今回はパス。

興津川を渡る辺りで、サクサク走っているロードバイクのカップルに抜かれ、あっというまに彼らは見えなくなった。こっちは20km出ているかどうかも怪しい。オジサン二人の平均年齢は50をたっぷり超えているのだ。

興津川河口から倉沢漁港のあいだは海岸堤防内側の道を行くのだが、これがなかなかに剣呑で、交通量はほぼないのだけれど、津波が来たらどうにも逃げようがない。そのときは諦めるしかないのであろう。

東名高速の下をくぐり、山下海岸を横目に見て、じきに倉沢漁港のところに至る。ここで信号で国道1号を渡り、西倉沢の集落の中に入り込む。ここからまた東海道の旧道なのだ。

西倉沢の風情は昔と変わっていない。道が狭いので、観光の車もそうそう入っては来ないのだ。観光バスの駐車スペースなどどこにもない。要するに変に観光地化されていないので、自転車の旅人にはまったく都合がいいのだ。

ちょっとした丘のようなところを越えて、東倉沢に入る。さてカフェはもうすぐのはずだ。あかりの博物館や小池邸の前を通り過ぎる。

だがだがしかし、辿り着いたカフェは定休日なのであった。うわ~。ガビ~ン。ちゃんとネット調べておけば良かった。万事のんきなT君にまかせっぱなしにしたのが誤りであった(^^)。

どうするんだよお、とT君に問えば、「蒲原(かんばら)にインドカレーの店があります」という返答。蒲原って言ったって、東西に長いぞ。「駅のちょっと先ぐらいです」というので、まあそれなら由比の外れからそう離れていないはずなので、その線で行こうということになった。

由比駅あたりから、旧道は街の中に入る。今宿というところで街道沿いにある高校の同級生の家に立ち寄ってみる。正直なところ、そろそろちょっと休みたかったのである。カフェにあぶれていささかへばりかけていた。

しかし話をしてみたら、インドカレーの店というのは、どうやら蒲原駅ではなくて新蒲原駅の近くだということが分かり、ゲンナリ。おまけに時刻はもう14時になっている。ふつうの食堂が中休みに入る時間帯である。

インドカレーの店がやっていなかったらやばいなと思いつつ、またT君とペダルを踏む。ペースが遅い自分が先を走っている。やがて旧道を抜けて、またぞろ旧国道1号の県道だ。

ここをしばらく進んで、ようようインドカレーの店に到着する。幸い無事営業していた。着いてみれば、インドカレーじゃなくてネパールカレーだったけれど、まあそれはいい。

カレー2種とほかにいろいろおかずの付いたライスたっぷりのネパールセットを頼んだ。満腹であった。ぐ、ぐるじい。これでは、きょうのサイクリングで消費したカロリーもたちまちリゲインしてしまうだろうというようなボリュームだった。

それでも昼食を無事食べることができたので、まあひと安堵である。店から少し先のところでまた東海道旧道に入り、蒲原宿の保存家屋で小休止。案内のマダムからいろいろ話を聞かせていただく。

画像右側が市が保有している保存家屋。蒲原宿には大きな駐車場がないので、観光バスの団体などが押し寄せることもない。静かに旧街道の気分に浸れる。
旧街道というものは、車よりも自転車がよく似合うのであった。
保存家屋の2階からの眺め。

きょうの旅はここで折り返す。帰路は、旧東海道ではないが、旧国道1号の県道と山とのあいだにある旧道っぽい道を進む。そこそこアップダウンがあって、ヘロヘロしながら進む。

蒲原町神沢(かんざわ)のところまで来たとき、少し山の中に入る。地下に新幹線のトンネルがあるところがあり、そこで側溝を見ていると、新幹線通過の際に風圧で水が噴き出すのである。

しかし以前には見られたこの現象も、今回は見られなかった。トンネルの壁をメンテしたのかもしれない。

来た道を戻り、昔親戚が住んでいた変電所の社宅の横をかすめて、再び由比エリアの旧東海道に入る。先はまだまだあるが、そろそろへばりかけている。由比駅の前で休憩して、飴と水を補給する。

そこから先はただもう無事に清水まで帰り着くべしという思い。幸い西風が吹かなかったのがありがたかった。

東倉沢、西倉沢、山下海岸、興津川、興津と来て、有名な鯛焼き屋さんのところから、昔の海岸堤防伝いの道を行く。かつては東海の保養地でお屋敷のあったところを通る。

横砂、庵原川、袖師と戻り、途中から市街地の道に入る。この頃になると、もはや連続的なペダリングができず、四、五回回してはしばらく休み、また回すという体たらく。

T君ともども行きつけのカフェに辿り着いたら、もう18時を回っているくらいだった。なんとかこのカフェで美味いコーヒーを飲むのだという思いで清水に帰ってきたのであった。

夕食もここで済ませ、解散して帰途についたのは21時頃。春の夜道を伝って、なんとか無事に家まで帰り着いたのであった。走行距離は約50km。それにしても63歳で自転車ツーリングを復活させるのは、なかなか大変な事業であることが身に染みて分かったのであった。


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