見出し画像

里道と近代と

里道の定義というものがあるのかどうかわからないが、私にとっての里道は、田舎道といってもまあ同じだろう。
あまり家が建て込んでいない、つまり都市部ではなく郊外の人里で、適度な間隙のある家並みと、田畑(でんぱた)や木立ち、雑木林などが交互に現れるような世界である。
古くから人の住んでいる田舎では、ごくごくありふれた風景であるとも言える。
そういうところに通っている里道は、半ば自然発生的で、川や水路沿いといった地形条件にも支配されるが、人が歩いていたところがいつか道になったというようなニュアンスも持っている。

郊外にも家並みのあいだを通う道がある。
かつてよくニュータウンと呼ばれたような世界で、大都市周辺ではそれまであまり人の住んでいなかった丘陵地帯を大規模に開発して、戸建て住宅もしくはその用地が大量に分譲できるようになったところにも、当然ながら道は造成された。
しかしそれが里道かというと、どうも違う。
郊外であって、雑木林や田畑にも遠くないのであるが、街自体があまりに人工的であるために、道路も機能に徹しており、無駄がない。
つまり余裕がない。
ニュータウンというものは土地を換金化したものであるから、効率が正義なのであって、道路がうねうね曲がっているようなことはあまりない。
曲がっていることがあったとしても、その背景には多く設計や数学がある。そうでなければ、消し去ることのできなかった地形的刻印ゆえのものだ。

ニュータウンとは近代産業主義の産物であり、昔からの人里や里道の世界とは違う。
だいたい、そこには路地というものがない。
裏路地から見えるような「裏」の顔がない。
家の用地というものはすべて道に面した「表」の顔なのだ。
子どもたちや近隣住民に許されたような「裏路地の世界」が存在しない。
すべて「表」向きの顔しかないのだ。
だから嘘くさい。

私が里道を好むのは、いまだに路地裏で遊んでいた子供時代の記憶を引きずっており、ニュータウンに象徴される近代のまやかし的な仮面に全面的にくみできないからだ。
もっとも、ニュータウンの時代の早期には、周辺の丘陵地帯とのあいだに一種のせめぎ合いのようなものがあり、近代とそうでないものの相克が緊張を生み出してもいた。
手前味噌だが、拙著『丘の上の小さな街で 白鳥和也自転車小説集』におさめられた掌編「雑木林の丘」はそういう時空を取り上げている。

里道には近代化を拒んでいるようなところがどこかにあり、それに私は魅了されてやまない。
里道には、静かで、威を借ることのない、無言の野生と、それと対になった人のぬくもりが息づいている。


ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。