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旧い町の旧い祭り

旧い町の旧い祭りには、たまらない切なさがある。

たとえそれが年に一度の鬱憤晴らしの機会だったとしても、それを待ちわびてその1年を送ってきた人々の歓びと哀しみがそこに漂っているような気がする。

祭りには「神」がいるのだが、その「神」は人間の願いを聞き入れ、あるいは拒絶する存在というよりは、死ぬまで祭りを繰り返す人間の営みをじっと見つめている存在のように思えてならない。

私が自転車の旅らしきものを始めたのは、1977年のことで、その頃、画像の祭が行われている森町(静岡県西部の周智郡森町)の周辺には、まだ戦前の匂いが残っていた。

だから初めてこの町を訪れたときには、カルチャーショックに近い衝撃を覚えたものだった。

それからもう45年ものの歳月が流れ去ったが、今でもこの町のオーラは本質的にはその頃と変わっていないように思える。

根なしの人々(私もその一人だ)を大量に生み出した高度経済成長の時代も、何もかもマネタイズしてしまったバブル時代も、この旧い町のオーラを塗り替えることはできなかった。

そういうことは稀有な話なのだ。もしかしたら、静岡県ではこの町だけなのかもしれない。中山間地には昔のオーラが残っているところもないではないが、そういうところはたいがいの場合、著しい衰退の空気に染まっている。

この祭りの日に森町で行き合わせた掛川の友人が言っていたが、森は戦後の大規模な区画整理が行われなかったので、「遠州の小京都」と呼ばれる旧街道の町並みが残っているらしい。

森町のように、平地にあって、往年の空気を残しているところはまず非常に珍しいと言わねばならない。区画整理されていない街路や通りは一定の不便や災害に対する脆弱さも持ち合わせているが、戦後に造られたのっぺりとした街路には決して見られない風情や旅情を備えている。

森町の風情ある界隈は、カメラをぶら下げて歩くのにも格好の空間だ。1時間もあれば、旧街道沿いの町並みの中心部分を見ることができる。もっと足を伸ばしたければ、自転車を持ち込むが良い。レンタサイクルもあるようだけどね。拙著『静岡県サイクルツーリングガイド』(2002年刊。なんともう20年も前だ)でも、私がデザインした森町のコースを紹介している。もはや新刊本での入手は不可能になってしまったが、古本ならまだ入手も可能だろう。


森町では山車とは言わず、「屋台」という。祭りのクライマックスでは、各町内の屋台が一斉に繰り出して、それは凄い光景となる。








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