見出し画像

映像と追憶/蛇腹カメラと機械史

 一台だけ、ブローニーの蛇腹カメラを持っている。ツアイス=イコンのネッターというモデルで、1950年代のものらしい。巻き上げとシャッターチャージは別になっているが、二重露出にならないよう、シャッターを切ったら巻き上げないと再びチャージできない構造になっている。
 レンズは3枚玉のトリオタール。その割にはよく写る。一度モノクロの120フィルム(ブローニー)を入れて撮ったとき、ここまで諧調が豊かななのかと驚いた。デジタルSLR(一眼レフ)の撮像素子がフルサイズだとまったく印象の違う画像になるのと同じで、フィルムはそれ以上に面積の大きさが画質に反映される。単に解像度が上がるというだけでなく、諧調が細分化され、結果として潤いのある画面になる。
 オーディオで言うと、SN比が上がるということに通じるかもしれない。ローキーからハイキーまで、非常に多彩な表現領域が生じるということなのだろう。

 脱線した。撮像面積の話よりも、機械的なことの話なのだ。ネッターの頃のカメラは、その後全盛期を迎える135サイズ(35ミリ)のカメラよりも、さらにメカメカしい。画像にあるように、文字類の大半はエングレーブされている。
 蛇腹という機構そのものもそうだ。オリンパスXAはテレフォトタイプの全長の短い光学系を使って、レンズの繰り出しが不要なコンパクトカメラを世に送り出した。
 蛇腹はそれに比べるといかにも大仰ではあるが、6×6の標準レンズの焦点距離を考えると、やはりこの長さは必要なわけで、しかしこれがうまく折り畳まる光景もなかなか味がある。蛇腹機構を支えるヒンジなどは、見事なクロームメッキ仕上げとなっている。

 それにしてもレンズ鏡胴周辺のこのメカメカしさは見事である。光学機器というより何か別のものにも見えてくる。SNSでこの画像を友人たちに披露したとき、「オーパーツみたいだ」と言ってくれた人がいた。
 それではっと思い出したが、「アンティキティラ島の機械」という遺物がある。同島近海のギリシア時代の沈没船から発見され、現在では、非常に高度な計算システムを持ち、天体運行を示す、一種の宇宙暦計算機とされているらしい。階差機関と言ってもいいのかもしれない。
 その時代にこういうものがあったとは想定されていなかったようなので、オーパーツとは少々違うにしても、大発見であったことは間違いないだろう。
 実際には、世界各地で、文明の起源とされる時代よりさらにずっと古い時代の高度な遺物がいくつも見つかっているようだ。ただ時代背景等説明がつかないので、アカデミックな世界の中に出てくることがほとんどないのであろう。もちろん教科書に載ることもない。
 また機械の歴史についても、常識というものが教えるのは一部に過ぎない。建設機械のようなものは、産業革命以降の産物だと考える人が多いため、古代の大きな建造物はいったいどうやって建てられたのか疑問に思われるが、人力のクレーンはずっと前の時代から存在していた。

 機械の様式は変化するが、それがいつも進歩とは限らない。カメラの機能も、液晶が流行った頃にやたらと複雑化してかえって扱いにくくなった。ある機能を呼び出すために液晶を使い、そこからまた操作しなくてはならなかった。
 それに比べると、シャッタースピードダイヤルなどははるかに簡単である。なぜか。ダイヤルスイッチは、今現在、当該の機能がどういう状態であるか(シャッタースピードダイヤルなら1/1000か1/500か1/2000か)を示す機能があると同時に、その状態を変える機能(ダイヤルを回してシャッタースピードを変える)があり、つまりはひとつのダイヤルが表示と切換えの二つの機能を持ち、それにもかかわらず両者は使い勝手の上では区別が簡単につくからだ。
 これをわざわざ液晶と別ボタンにするには、進歩ではなく、後退であって、しかも液晶は壊れやすいのであるからさらに始末が悪い。
 そういうことをやっているうちに、銀塩の時代は終わってしまった。

 以下は単なる妄想に過ぎないが、もし私が特殊な光学機械メーカーの企画部にでも在籍していたなら、蛇腹のデジタルカメラを商品化したいと思っただろう。
 蛇腹には、折り畳み機構の利点だけではなく、光学系の後ろ玉から撮像面までの間の遮光性を高め、内部反射を極力抑える点で利点がある。実は高級なカメラは、そのあたりの作りがしっかりしており、つや消しの塗装や内部反射を防ぐシールドなどを加えていたりする。
 新しいものが何でも優っていると考えるのは、発達史観の悪影響でもある。昨今では、ITが不得手な人をすぐ小馬鹿にするような人がいないではないが、ではそういう人がサイバネティクスや素数の理論に精通しているかというと、その可能性のほうが低いであろう。
 物事の表面よりも、基盤を知ることのほうが困難であるために、人は無意識にそれを避けようとするのかもしれない。が、よく見ていると、機械は何かを伝えてくる。リバース・エンジニアリングは、その意味では、機械を愛する人の誰にも可能なことなのだ。

ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。