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箱というものの蠱惑

ルアーを整理しようと思い立って、ガレージの中にあったタックルボックスを家の中に持ってきた。もうほとんど30年くらいほとんど開けたことのなかったタックルボックスである。

海外に釣りに行くときに間に合わせで買ったボックスなので、あまり気に入っていないこともあり、ふだんあまり使わないルアーを中心に放り込んでおいた代物だ。

しかしボックスからルアーを出してみると、けっこうその当時愛着があったものも含まれていた。で、これは整理したほうがいいだろうという気分になった。

それで、中古釣具屋さんに行ってタックルケースを物色した。タックルボックスほど大きくないが、小分けにできるので整理はしやすい。材質が半透明なので中に何が入っているかもすぐ分かる。

物色したら、都合の良いことに、USのプラーノというメーカーのものが大中合わせて三つほど値札がついていた。しかも1個200円程度でリーズナブル。おまけにイリノイ州のこの会社は、大好きなメーカーなのだ。たちまちお買い上げになったのであった。

それで家に持って帰って、早速ほかのタックルケースと合わせてルアーを入れてみた。タックルケースの中に入れると、ルアーの見映えもよくなる。透過光が当たるからだろう。

どういうわけかよくは知らないが、物体、特に自分が大切にしているような物体は箱の中に入れると、ひときわ美しく、また愛おしく見えるのであった。

箱は永遠の憧憬の象徴であると言ったのは誰だっけ。箱には愛があり、秘密があり、不思議がある。ウィリアム・ギブスンのサイバーパンクSF『カウント・ゼロ』でも、箱の中のコラージュが重要なイメージを演じる。

そういったものに魅せられた私は、拙著『自転車依存症』の表紙にも、コレクションボックスを登場させてしまった。もうそんなことは忘れかけていたのだが、今回またタックルケースのことで思い出してしまったのだ。

『自転車依存症』の表紙に使った画像。
使いそうなルアーを整理したタックルケース。



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