客体化される死者について(大森静佳「琵琶子」にたいする歌評)




※大学の講義で書いた歌評です。けっこう良い評価をもらったのでここにも載せます。大学向けに書いたものなので、無理に字数が引き伸ばされています。そこも楽しんでいただければ。



はちがつの水難事故で死ぬこども手に新聞の匂いはのこる

大森静佳「琵琶子」


 この歌をどのように読むか、ということを考えた時に、この歌の解釈でもっとも意見がわかれるところはどこか、というと、それはおそらく、「新聞の匂い」がいったい誰の手に残っているのか、というところであろう。これは言い換えると、この歌の作中主体がどこにいるのか、ということにもなる。すなわち、水難事故で死んだ子供の手に新聞の匂いが残っているのか、「はちがつの水難事故で死ぬこども」がいて、それとは別のところにいる作中主体の手に、新聞の匂いが残っているのか、という解釈の違いだ。もちろんどちらか一方が正解で、もう片方が不正解、ということは決してないのだが、あえて私はここで、いやしくも後者の解釈を推してみたい。

 まずこの歌を読んで目に入ってくる上句「はちがつの水難事故で死ぬこども」は、きわめて希釈されたイメージを読者に与える。毎年、夏になると川や海での水難事故で命を落とす子供の痛ましいニュースを目にする。彼らにはひとりひとりに無限の可能性を持った未来があり、それらが絶たれるということは、残された家族の痛みもひとしおだろう。しかしこの歌の上句は、そうしたこどもひとりひとりに想像のまなざしをむけることをあたかも妨げるかのように、きわめて簡素に一般化されて書かれている。死んでしまったこどものことを歌うにはややぶっきらぼうで、露悪的だという印象すら与える。
 「死ぬ」という現在形も気になる。ふつう特有のひとりのこどものことを書くなら、あるいはこどもを主体として作中で取り上げたいなら、「死んだ」のような過去形を使う方が適切だろう。その方が個別具体的なケースにたいしての想像がわくし、読者がこの歌を実際に“あった”こととしてとらえることをより容易に可能にするだろう。しかし実際に使用されたのは「死ぬ」という現在形で、これはこどもが死ぬのがどこか予定調和であったかのような印象すら読者に与えうる。この現在形は読者に水難事故を“自分ごと”(≒作中主体の出来事)として捉えることを困難にさせ、どこか遠くの場所で起こっている一般化された出来事としてこの上句を受容させている。
 従ってこの水難事故がどこか遠くの場所で起こっているとするならば、それを“遠い”と判断するために、そこから離れた場所に主体が別に必要となる。ここであらわれるのが下句だ。「手に新聞の匂いはのこる」。つまりこうだ。八月、どこかで水難事故が起こり、こどもが死んでいる。そこから心理的にはとても離れたところでそれを知覚した主体の、手には新聞の匂いが残っていた―――。主体はおそらく、新聞記事を読んでいて、その中に水難事故を知らせるニュースを発見したのだろう。「死ぬ」という現在形が予定調和のように感じられたのはおそらくそれが本当に予定調和だったからで、もちろん、「何月何日に誰誰が水難事故で死亡する」と予言するのは誰にとっても不可能だが、「八月に水難事故でこどもが死亡する」とまで一般化すれば、これはもはや予言ではなく確定した事実として受け入れられるだろう。どこの誰かは関係なく、毎年夏になれば必ず水難事故で子供は死ぬし、私たちは遠く離れた場所で起きたそれを、新聞やテレビを通じて、いつもどこか予定調和のように眺めている。「はちがつの水難事故で死ぬこども」以上のディテールを、私たちが本質的に知覚しようとすることはなく、死んでいくこどもたちは、多くの人にとって客体視され続けるのだ。
 つまりこの歌では、「はちがつの水難事故で死ぬこども」という一般化された予定調和のような事実から、下句で一気に「手に新聞の匂いはのこる」という具体的な個人の経験に視点がズームインされる、そのギャップの体験を通じて私たち読者は否応なしに、上句で示されたような私たち自身の残酷な客体化の視線を実感させられるようになっているのである。

 そして思えばそのようなことは、なにも水難事故に限った話ではない。私たちによる残酷な客体化の視線は、あらゆる死に注がれている。たとえば今、この時にもガザやウクライナでは激しく戦争が続いているが、そこで実際に死んでいるあらゆる人たちに対して、私たちはどこまで思いをはせることができているだろうか。実際のところ私たちはウクライナやガザからは遠く離れた日本に住んでいて、ウクライナやガザの人々が日夜抱いているであろう恐怖や現実的な困難の数々を、生身で実感することは決してない。そのせいで私たちは、私たちの戦争について考え方をつねに抽象化し、実際に現地で存在している戦争からはずいぶんと捨象された「戦争」についてを、いつも考えてしまってはいないだろうか。すなわち、私たちは気づかないうちに、実際にその戦争の中で生きたり死んだりしている人たちそのものを、見殺しにしてしまっているかもしれないのだ。戦争とは本来、私たちと同じ生身の人間が大勢、家を焼かれたり理不尽に殺されたり、あるいはその逆に理不尽に人を殺していたりするものであるのに、私たちはそのことをつい忘れて、いつもプーチンやバイデン、ゼレンスキーやネタニヤフのことばかりを考えてしまってはいないだろうか。戦争は地政学によって行われるものではなく、そこにいる人間一人一人による殺し合いによって行われるもの他ならない。それなのに私たちは、いつもそこにいるはずの人間を忘れ、その方が楽だからと、知らず知らずのうちに物事を捨象し、客体化し、一般化してとらえてしまう。

 それではいけない。わたしたちはいつも、他者への想像力を失ってから暴力を始める。同歌集から、もう一首掲載しよう。

産婆さんとながく呼ばれて朝晩に目玉の体操していた祖母よ

 今私たちが目をむけなければならないのは、その「目玉の体操」に他ならない。新聞やニュースや教科書に書いてある、簡潔に一般化された第三者視点の情報ではなく、私たちは今こそ、その奥にいるはずの人間ひとりひとりにまで、想像のまなざしをむけなければならない。「目玉の体操」という生活のディテールは、その人の生活の細部にまで思いをはせ、そこに密着しなければわからないものだ。「産婆」であり、「祖母」であったその女性の、さらにその先に彼女の日々の生活の営みを看取り、彼女に主体を認めて初めて、そこに「目玉の体操」が現出したのではないだろうか。そこには「祖母」や「産婆」といった、人間を客体化する記号はもはや本質的には不必要なはずである。つまり、祖母であろうとなかろうと、常に他者に対して主体を認め、想像力をもって接する。その先にあるひとりひとりの「目玉の体操」に目をむけることこそが、暴力の代わりに今求められていることなのではないだろうか。

 本稿で掲出した二つの歌は、それぞれ死者を客体視する私たちの視線を露出させ、そして他者への想像力を説いていた。私がこれらの歌が、人間にとって普遍的に大切なことを時代を超えて示し続けると確信している。

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