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コミュニケーション

 この文章は、私によって、あなたに読まれるために書かれている。
 わたしはあなたのことを知らない。あなたが誰なのか、わからないし、もしかしたら、あなたも私のことを知らないかもしれない。しかし、それでも、私は他でもないあなたのためだけに、この文章を書いている。

 あらゆる文字は読まれるために書かれる。あらゆる歌は聞かれるために、あらゆる絵は見られるために、あらゆる料理は食べられるために、つくられている。あなたはそのすべてを目撃することはできないが、少なくともあなたはそのうちのいくつかを目撃して、何かを思ったり、考えたりしている。いまこれを読んで、何かを思っているあなたを、私は他のどこかで、確かに目撃している。
 あらゆる表象は、その循環の中にある。

 あなたにはまるで関係のない話のように聞こえるかもしれないが、私は、私が放つすべての表象が、どのようにしてあなたを、世界を変えることができるかということを、絶えず夢想している。
 しかし、それとは別に、現実としていまあなたの周りは、さまざまな物質や情報で溢れている。あなたはそのうちのいくつかを取捨選択して、笑ったり、泣いたりするかもしれないが、残念なことに、それらのほとんどすべては、“たったひとりのあなた”のためにつくられたものではない。それらは、あなたの注意を引くために、あなたの前で求愛を続けているが、それらにとってあなたは結局、曖昧なマスを表す数字のごく一部分にすぎない。それらは、もれなくあなたに消費されることを企んでいて、それは、そうすることがこの社会では金になるからに他ならない。

 誰に向かって放たれたかも分からない表象たちの大味な快楽に囲われながら、あなたは、そこから抜け出せないでいる。あるいは、あなたは自らを拘禁するそれの存在にすら、気づいていないかもしれない。
 しかしあなたは自由だ。この社会では、全員に一通りの自由が配られているから、自由なあなたは、あなたの身体を覆い尽くす、その一個の巨大な魔獣を、どこからでも眺めることができる。眺めることに飽きたならば、その魔獣を取り替えることだってできる。この社会は魔獣を無限に用意してくれて、あなたは徹底的に自由だ。しかしあなたは、その魔獣があなたの身体を蝕み続けているところを、目撃していないのだろうか?

 魔獣に覆われながら、それが規定する視野の中で、つまり無限に拡張を続ける身体機能=メディアの中で、どこまでも広がり続けるように見えるあなたの知覚に、あなた自身が怯えていたとしても、その中であなたが、ほんとうのコミュニケーションを見失っていたとしても、それはあなたのせいではないから、ひとまず安心してほしい。
 ではどうすれば良いのか、という答えを、この文章は持ち合わせていないが、少なくとも私はここに、私が思うほんとうのコミュニケーションを実践した。そのことが少しでも、あなたを、世界を変えるという可能性を、私は夢見ている。

 さいごに、他でもないたったひとりのあなたのために、私によってかかれたひとつの歌を添えて、この文章は終わる。

 私は、あなたを、見ている。





ー銀河中をスクロールして降っているぜんぶの流星群に願った

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