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目 次

第1章 今なぜ安全保障なの
第2章 今なぜ国なのか
第3章 今なぜ戦争なのか
第4章 今なぜ平和、危機、抑止なのか
第5章 今なぜ情勢判断なのか
むすびに 今なぜ日本文化なのか


第一部 安全保障の源流であり底流である「縄文人和」シリーズ

                (担当:本会リポーター:和貴一三二)

第1話 安全保障の元祖は聖徳太子(574~622)
 今から1400年ほど前に世の中が荒廃しかかっていたときに、聖徳太子が、穏やかだった縄文時代の暮らしを偲ばれ、十七条憲法を定めて「皆さん、世の中で最も大事なのは和の心です、争わないようにしましょう」と、世界史上初めて「和の心」を説かれました。日本書紀(720)の巻22に「似和爲貴 無忤爲宗」とあります。これこそが、内乱や戦争の無い社会に和楽のうちに生きたいと願う普通の現代人の安全保障の考えの源流であり、今も、その底流をなしています。

第2話 日本の前身となった「縄文社会」
 縄文時代は、奈良に大和朝廷が出現した3世紀末より以前の1万数千年にわたる「先史時代」です。初め、地殻変動によって日本列島が大陸か    ら離 れて出来上がり、折しも地球に間氷期が訪れて温暖化して島々が住みやすくなり、そこへ海外からいろんな人々が「渡来」し「日本語」を話 して睦み合うようになりました。そこには殺戮も略奪も奴隷化もなく国を作る必要さえありませんでした。

第3話 穏やかな日常の暮らし 
 日本列島に人々が住み始めたころ、野山には野菜や果物や木の実が溢れ、海や川には魚介類がいっぱいいて「食う」に困らず「天敵」となる大型の肉食動物もいなくて安全で、また、海を隔てているために「大陸人」に大挙して襲われる心配もありません。身近な「みんな」で協力して食べ物を集めては分かち合って暮らすうちに「和の心」が育ち「文化」を楽しみつつ1万数千年が過ぎました。

第4話 和の社会は人の芯を強くする
 縄文人は、苦難を島の外には持ち出さず、辛抱し、和して解決しました。噴火、地震、津波、台風、洪水、飢餓、疫病などの災難も、身近な者同士が、我が身はさておいて助け合い協力し合って克服しました。今でも、死ぬか生きるかという重大な災害に際して、人々が、誰云うことなく無言で示す整然たる秩序に、まざまざと、縄文時代に培った和の心と芯の強さとの相関が見られます。

第5話 武力を和で凌いだ縄文人
 支那が秦から漢の時代に入ると、戦乱が激化し、渡来人も「武力」を用いて来襲するようになりました。武器も内乱も戦争も知らなかった縄文人は、うろたえて逃げ惑い、生活は困窮し、文明も文化も後退しましたが、芯が強かったため、辛抱強く困難を克服して和の心を広め、渡来人たちを拒まず「戦わず」して「同化」し「混血」しつつ、共に、古来の「文化」を磨いて楽しんできました。

第6話 生活共同体の穏やかな暮らし
 縄文時代の、食うに困らず、温暖で済みやすく、天敵や外敵がいない社会においては、女は家事や採取・栽培、男は狩りや力仕事、老人は子守りや留守居という「家内分業」が進み、集落は、家々が力を合わせ、苦楽を分かち合って生きる「共同生活体」となりました。そのような社会では、家庭的な「徳治」が進んで生活にゆとりや潤いが生まれ、次々にユニークな「文化」が育ちました。     

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