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0019-(第四部)

第27話 日本人の出自
 人類はアフリカで発祥し、各地へ拡散しました。初め、中国大陸、朝鮮半島、沿海州、カムチャッカなどを経由して日本列島へ渡来した人々が縄文人の元祖となり、その後、太平洋諸島やイスラエルなどからも流入しました。ミトコンドリア、言語、生活様式などをみると、今も縄文を最も色濃く宿しているのは、アイヌ人と沖縄人です。その他は、混血が進んで縄文色がかなり薄れていますが、文化は、全列島にわたって、今も、深く継承されています。
 ユカタン半島では、数千年前から数学、天文学、ピラミッド建造など、かなりの文明・文化が発達していました。戦争もしました。縄文には、そういう跡は認められませんが、土器や装飾品については、列島3千数百キロにわたって、交易が進んで、文明・文化を共有していました。

第28話 縄文人には王も国も要りませんでした。
 
生態系に恵まれて「衣食住」が十分に足り、地勢に恵まれて「天敵や外敵」を被らなかった初中期の縄文社会においては、日常生活上の不安、恐怖、畏怖、恐懼などは深刻ではありませんでした。「疫病」「天変地異」「自然の移ろいの神秘性」などへの思いはあって「神道」の原型が興り、海、山、岩、木、などに宿る八百万の神への信仰が広がりました。日常の食器に「縄」の模様を刻印したのも、殺菌力がある藁で造った縄に疫病や悪霊の侵入の防止を託したからです。神社、神棚、門戸などの注連縄にも同じ思いが込められています。
 小部落ごとの「徳治」が進み、広域にわたって「交易」しながら、安隠のうちに過ごしました。「王」も「国」要りませんでした。第21代雄略天皇の時代にも「東に55国、西に66国」あったと伝えられています。

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