0017-(第四部)

第23話 人の人生に宗教は不可欠か
 15世紀末(応仁の乱のころ)インカ帝国に滅ぼされたチムー王国の廃墟の乾燥粘土層から、百数十名の子どもと2百頭余りのリャマの子の遺体が「数年前」に発見されました。みな、心臓を摘出されたと思われる肋骨の損傷がありました。子どもは頭を海に向け、リャマは山に向けて葬られていました。「生贄」と判断されます。その数は、当時の人口にしては余りにも膨大です。広域にわたって組織的に集められたと推測されます。これは氷山の一角であって、未だ、近傍には類似の遺跡が多数ある兆候が認められます。
 遺跡はペルー北部の海岸の3百mの断崖の上の乾燥した台地にあります。大早魃か、大洪水か、その直後の疫病の大流行かに恐懼して、人にとって最も大切な命、しかも、後世に種を繋ぐべき最も大切な子どもの命、人の命ににとって最も大切な蛋白源や運送機関となるリャマノの子の命という最高の「至宝」を、神の意を抑えるために捧げた出来事だと推測されます。

第24話 古くから王国がありました
  4千年以前(日本では縄文時代中期)から、ユカタン半島(メキシコ)に、今は亡き巨大な「マヤ王国」が繁栄していました。すでに多数の巨大遺跡が発見されています。石器文明でしたが、象形文字や記号文字があり、数学や天文学が発達して高度の暦も用いられていました。政治が行われていました。
 鬱蒼たる密林の土中に、推定2万基以上の「ピラミッド」が眠っています。深い池があって、虐殺か処刑か生贄か判別の出来ない多数の傷ついた遺骨がありました。数年前に、祭場らしき縦千数百m横数百m高さ9mの土基壇が発見されました。密林には、トウモロコシ畑や集落だったに違いありません。
 数千か所に星座の星の距離感覚と酷似して配置されている廃墟群の、ただならぬ広大な規模から、百万以上の人が雲散霧消したと考えられます。侵略や征服の跡は見当たらず、周辺地域に現存する住民の中にDNAから末裔と認められる人は居ても、歴史を留めていません。王国が消滅した原因は、隕石、天変地異、疫病、水質汚染、迷信など、想像するしかなく、謎のままです。

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