0016-(第四部)

第21話 集団は牽引する人を必要としました
 初め、人々は「自然の摂理」が身に降りかかるのを『予防』しようとして神仏に祈りました。祈願、託宣、預言、疫厄払い、説論などに超人的、非日常的な能力に秀でた祭司や巫覡(ふげき:シャマン)が現れ、信望を集めてリーダーとなり、集団を纏めました。人々は縋り「権威」が育ちました。
 普段に、臨機に、神仏に祈っても「自然の摂理」は容赦なく身に降りかかります。平家物語にも「折れども験なし」とあります。現実に襲ってくれば、人々は結束して『克服』しなければなりません。利発者や実力者が立ち上がって人々を牽引しました。人々は従い「権力」が育ちました。
 今も、政治はリーダーが発する権威と権力によって行われます。「まつりごと」とも言われる所以です。

第22話 現存する儀式
 今でも、日常、多くの人々が神社に祈りを捧げます。「信仰」です。伝統的な信仰が薄れると、新興宗教が出現します。無信仰、無関心教などと公言する人も、手に汗を握るような事態の瀬戸際においては、思わず祈ります。
 人は、入学式、結婚式、落成式、祭礼、祭典など、しばしば儀式を行います。本能によって自然を生き抜く野生の動物は、儀式を行いません。
 人は、人工によって自然を超えて生きなければなりません。不断に強力に結束し、たゆまぬ努力する必要があります。時の流れに流されて堕落しがちな自らを戒め、心、魂、神のレベルにおいて、人生における繁栄と安寧向かうための決意を新たにして自らに言い聞かせれるために儀式を催します。古来、祭司や巫覡の導きによって行われました。地鎮式を神主が取り仕切るように、全ての儀式は、本来は、宗教行事だったはずです。

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