0003 -(第一部)

第14話 弥生時代・古墳時代という大嘘
 終戦後に進駐してきた連合軍の「マッカーサー将軍」以下による「日本国民弱体化政策」を下請けした一部の御用学者、教育者、ジャーナリストたちが、科学的な根拠もなく、縄文時代の末期を、弥生時代、古墳時代と言い換えました。朝鮮半島から弥生人という先進人が渡来して「劣等人」であった縄文人を導いてくれたと言うのです。このとんでもない嘘は「遺伝子や放射性炭素14」によって暴露しました。敢えて弥生人を区別するなら、縄文人との違いは、背広の明治人と丁髷の江戸人との違いみたいなもので、人は同じです。古墳は、お墓ではなく、開墾や灌漑の残土を積み上げ、その頂上に、導いてくれた人の霊を祀ったのです。

第15話 揚子江流域にも縄文人が
 縄文時代の支那には「ジャポニカ」を食する「謎」の長江人がいて、類似の「土器」も出土しています。縄文人の大部分は方々からの渡来人たちです。長江人も同じ血を分けた縄文人で、縄文文化は九州~琉球~長江と繋がっていて「仏教」や「漢字」も北の黄河流域より先行していた可能性さえ考えられます。しかし、大陸ですから、数千年後に黄河文明が出来て戦乱に巻き込まれた青銅器・鉄器文明へと転移したはずです。研究が待たれます。

第16話 太古の列島は本当に平和だったのか
 縄文時代の始まりが1万数千年前だったのか、4~5千年前だったのか、先史時代だから記録がなく、議論されています。発掘された遺跡から「武器が」見つかっていません。遺骨や遺品に武器や野生動物による「傷跡」がありません。精緻な土器、土偶、漆器、女性が身に着ける多様な柄の衣服や装飾品などが多数見られます。安穏のうちに暮らして穏いたのです。

第17話 恐怖政治のない太古の国造り
 大陸では「人類の歴史は戦争の歴史でもある」とまで言われます。後漢から隋にいたる支那では、大小の国が出来ては滅びる群雄割拠の「戦国時代」となり、その戦乱からはみ出した小集団が、武力を用いて次々に日本列島へ流入しました。折しも、人口は増大し、気候が変動して収穫は低迷し、疫病が流行り、縄文人は「内憂外患」に耐えられなくなりました。各地のリーダーたちは、国民の繁栄と安寧を一途に思い祈る祭司であり、君子である「天皇」を仰いで、国民の一人一人を大御宝(おおみたから)とする大和朝廷を築いて立ち上がりました。

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