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No.122【高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場誘致をめぐる対馬市内での動き〔前編〕】


1.はじめに(16年前の顚末)

⑴対馬市内への誘致発覚
16年前、対馬市に高レベル放射性廃棄物最終処分場誘致の動きが突如として降って湧きました。
先ず最初に対馬でこの動きが顕在化したのは、2006年10月1日に対馬市商工会上対馬支所(当時)の大会議室で原子力発電環境整備機構(NUMO)が、上対馬の商工業者を対象に説明会を開催すると、前日の朝刊で西日本新聞が報じたことに遡ります。

⑵情報リテラシー普及活動
推進派の情報のみを市民が鵜呑みさせらることはまずいとの思いから、《核のごみと対馬を考える市民の会》を設立して、地層処分に慎重あるいは危険性を訴える情報提供活動を開始しました。
〔当時のブログ👇〕

NUMOはこの間も破格の安い値段で青森県六ヶ所村に、多くの対馬市民を視察と銘打った旅行へと案内して、地層処分は高度な安全性が確保されているとの情報提供を実施しました。

2.誘致反対運動の積極的展開
⑴講演会開催等、地層処分の危険性普及
NUMOの最初の説明会が開催されて間もなく、岡山県の石尾禎佑氏から対馬が核のごみ最終処分場候補地として狙われているとの情報をご提供頂きました。《核のごみと対馬を考える市民の会》は、危機感を募らせて、この分野の第一人者小出裕章氏や藤田幸佑氏、広瀬隆氏などに講演会をご開催頂きました。
 講演後の質疑応答時に誘致賛成派の長老が「国家を信用せずして何を信用しろと言うのか‼️」と凄んだ際に、小出氏は、間髪を入れず「私は、国家ほど信用できないものは無いと思っている」と喝破されました。すると、会場が万雷の拍手に包まれたのは、忘れられません。

⑵島外の地層処分反対グループとの連携
その後、高知県東洋町の当時の町長が、核のごみ最終処分場の文献調査を受けいてたい旨を公表して、間もなく同地で推進派の東工大学教授と、反対派小出氏のとの公開討論会が開催され、私も石尾氏等と共に現地まで応援聴講に馳せ参じました。間をおかず実施された同町町長選挙では、誘致反対派候補が勝利し、当時の町長から誘致を退けた同じ自治体同士の友好の証として、ヒトツバタゴとゲンカイツツジを同町庁舎前に記念植樹したいとの申し出がありました。それぞれの愛好家から苗木をご寄附頂いて、東洋町に寄贈致しました。

3.対馬市議会における誘致反対表明等の誘致を断念させるための手続きの実践
《核のごみと対馬を考える市民の会》は、誘致反対派市議に働きかけ、2007年3月定例市議会で『核のごみ最終処分場誘致反対決議』を可決頂きました。

しかし、ご協力頂いた市議の多くが引退を表明する中、次期市議会議員選挙改選後は、誘致賛成派が反対派を上回る可能性が高くなる恐れがあり、不肖脇本は出馬を決意し、誘致反対を明確に表明し当選させて頂きました。当選後9月定例市議会の一般質問で当時の財部市長から「誘致を考えていない」との答弁を得ました。

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