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#1 わきみち堂って何? 前編

はじめに。
わきみち堂ってなんなんだろう?
わかりやすく言えば
「パンが製造販売されていて、人の居場所だったり交流の場所だったりして、時に音楽や芝居が上演されたり、はたまた表現作品の展示場ともなる、複合型空間のようなもの」
という風に説明ができそう。
でもそれはあくまで表面上のものであって、その表面上の殻をバリバリと剥いていけば、そこにはわきみち堂を形作る核のようなものが点在している気がします。
今回の投稿は、今はまだ自分でもよくわからないわきみち堂の形をそれぞれのその核のようなものに焦点を当てて、その形を紐解いてみたいというものです。

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目次

[前編]
1.パン屋として
1-1.パン遍歴ということ。何故パン遍歴が必要なのか?

[中編]
2.居場所、交流、発信の空間を設けること
2-1.誰の居場所であり、何故その居場所を設ける必要があるのか?
2-2.何故芝居や音楽なのか?また芝居や音楽をそこで上演する意味は?
2-3.表現作品とはどういうものか?また表現作品をそこに展示する意味は?

[後編]
3.わきみち堂における付加価値
3-1.自分なりのパンを、味わって食べてもらうことで、相手の感性を引き出し、時に純粋な感動を得たり、時に世界を広げてもらいたい。
3-2.パン屋としての自分なりの姿勢を真摯に貫くことで、自分を卑下することなく空間に集う人達(特に若い世代や子供)と真剣かつ対等のコミュニケーションをはかれるようになる。お互いがお互いを助ける関係性が生まれる。
3-3.地域的(生まれ育った土地への愛着や繋がり)にも、歴史的(伝統的なものの継承)にも、革新的(画期的な新しい取り組み)にも、文脈としてそぐわない自分がいる。
まずは自分の[個としての]文脈を築いていく事を最初の付加価値と定め、上記の2つの行為の継続によってその付加価値を獲得し、さらに[個→個の集合体として]そこから生まれていくものを発信することで、地域的文脈までを築いてみたい

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1.パン屋として
1-1.パン遍歴ということ。何故パン遍歴を記す必要があるのか?

まずはじめにパン遍歴とは、自分が生まれてから今までの人生に於けるパンとの携わりを記すもの、と自分は解釈しています。
自分がどんなパン屋になる。自分がどんなパンを作る。自分を見知らぬ人がそれを知るための大事な補助のようなものとして、このパン遍歴というものを活用していきたいと思う所存です。

なぜパン遍歴という言葉を用いるのか?
パン屋履歴、パン屋経歴、パン修行経歴など、もっと普遍的かつわかりやすい記しかたがあるのでは?
と正直自分もそう思います。
ただそれは自分以外の、きちんと普遍性を備えたパン屋さん、パン職人さんに当てはまるものであって、現時点その普遍性を備えきれていない自分にとってはパン遍歴というものが相応しかろうと思い、この[パン遍歴]という言葉をしばらくは用いさせていただきます。

次に、では何故そのパン遍歴をここに記す必要があるのか?という事ですが、その答えは単純なものです。
例えばもし自分が上に記したような普遍性を備えたパン屋さんであるなら、そんなパン遍歴という事をいちいち記さずとも、『どこどこの有名店で何年修行した』『かの有名なシェフに何年師事した』こういう事を記せば事足りるかと思います。
ただ、いかんせんそうした経緯がほとんど存在しない自分にはそうした簡易的な代名詞を用いる事が不可能です。
なので、多少煩わしくとも、パン遍歴に於ける重要と思わしきポイントを効果的に抽出して皆さんに提示してみようと思うのです。

それではここからはその「自分のパン遍歴」をそれぞれ区分けした期間ごとに抜粋して説明していきます。

1、出発点→22~23歳

初めてのパン遍歴は、いじめによる安易な挫折。
初めてパンというものに携わったのは、おそらく22~23歳の頃で隣接地域のパン屋でアルバイトした時です。修行の名目という部分と何となくパン屋でアルバイトするという部分が、それぞれ半々くらいな安易な動機だったと記憶しています。
そんな心を見透かされたかのように、不器用でドジな自分は失敗をする度にいびられては嘲られ、そのままポッキリ心が折れてしまって、10日としないうちに店を逃げ出してしまいました。
師事するべき店主からその仕打ちを受ける事になったショックはあとあとまでトラウマの尾をひくことになりました。
※未だにそのパン店は訪れる事ができません。

2、販売期→29~30歳

年月を経て再開したパン遍歴はひょんな事がきっかけでした。20代も終わりを迎える頃、あることをきっかけにして佐賀市内に於いて芝居の世界に出会い、数々の刺激を受けるに至りました。
その刺激の集大成として、唐突に自主映画を撮る!と決意して勤めていた仕事を辞め、山中で車に2ヶ月籠って映画のシナリオを書き上げました。

アルバイトをしながら映画製作を進めていこうと思い(何一つ映画製作の知識を持ち合わせていなかった為)仕事を探していたら、業務用のパンのルート販売という名目の求人を見つけました。
パンの文字に一瞬トラウマの姿がかすめましたが、映画製作に支障の少なそうなその仕事に応募する事にしました。すぐに採用されて、パンの販売を始めました。
本当にこの販売時期には色々な経験をしました。
多くありすぎるので、印象的なものだけ羅列してみます。

○固定客に対するルート販売と思いきや、ほとんどが開拓メインの営業パン販売。
○営業所の部長に良いように持ち上げられて、販売能力以上のパンを発注、売れ残ったら自己買取りなので夜まで売り歩くも、パンは売れ残ってしまい、いつも食べ物は自社のパンばかり。
○漁師町の漁師さんに
「あんたはこのパンをちゃんと食べた上で美味しかと思ってから、オイ達に美味しかですって言うて売りよるとか?」と問われ、ショックの余りぐうの音も出ず、ショックの大きさ故に年末に全種類のパンを自ら買い取り、年末年始の時間を使って全種類のパンの美味しく食べられる形を追求してみた。
○少しでも印象を良くしたいという思いから、その時の固定のお客さん150件あまりに宛てて年賀状を手書きし、その上年賀状受付期間内に出すことが出来ず、大晦日の夜から元旦午前中をかけて、一軒一軒自ら配達して回る。
○ある日、いつも通り出勤したらパンを届けるトラックが来ない。遅れて出勤して来た部長の表情がおかしい。訳を尋ねると「工場が潰れた、今日のパンは届かない」
話のニュアンスによると、実は少し前からそうなる事を把握していたらしかった。
○新しいパンに切り替わってひと月と経たないうちに、上とほとんど同じようなシチュエーションが出来した。今度は取引先とのトラブルでしばらくパンが届かないとの事だった。
○そもそもの発端であるはずの映画製作の意志は、毎日のパン販売の方に徐々に熱量を吸いとられてしまって、気付いた時にはもう心の奥の方へしまい込まれてしまっていた。

以上のような事がありつつ、結局その仕事を辞めるに至った訳ですが、その辞める決断をした裏にはあるお客さんから投げ掛けられた声とそこに連なる自分の行動の変化がありました。

声を投げ掛けてくれたのは、毎週パンを購入され懇意にしてくださっていたある町の製茶屋のおかみさんでした。

ある日の事です。
「あなたはイーストフードって何か知っている?」

名前自体は聞き及んでいましたが、それが何なのか考えた事もありませんでした。

「やっぱり。あなたが売っているこのパンに含まれる添加物の事よ。あなたは確かに人当たりも良くて、人間性もいいものを持っている。でも自分が売っているものの事を自分で知ろうとしていない。ものを売る事はあなたの仕事でしょ。自分の仕事には真剣にのぞまないと駄目」

図星を付かれておそらく表情もひきつった笑い顔だったと思います。気付けば、そのおかみさんは、初めてお会いした時から毎回自社のお茶を丁寧に淹れてくださって、美味しいお茶の淹れ方(お湯の温度を使い分けて)まで手解きくださっていたのです。

「あなたが嫌でなければ、私の知り合いのパン屋さんを紹介するから、仕事が休みの日だけでも勉強に行ってみない?」

唐突な事で正直迷いも不安もあったので一旦返事を保留しました。ただ次に店を訪れる時には心を決めていました。

そうして平日パン販売をして、休日にパン工場の手伝いをする。そんなサイクルを繰り返していた矢先に
2度目の会社のトラブルが発生したという訳です。
縁に助けられたというところでした。

それからの日々は午前中は工場でパンの製造補助をして、午後からは以前のようにパンを売り歩くスタイルに変わります。ここでも当然のように色々な事がありましたが、再び抜粋して少しだけ並べてみます。

○この店のパンは、味はおいしくて商品の種類もわりとあるのに、それぞれのアイデアが安易すぎて、必然性との結びつきを感じ取れなかった為に、全商品の見直し(名前はそのままで素材をもっと効果的に使用する)かつアップグレードを提案しました。一時はその向きに動こうとする気配もありましたが、結局は日々の忙しさを理由として、なし崩しに全面却下されていました。

○自らを新しい視点として捉え、工場内における様々な問題点を意見具申しましたが、相手の視線はいつも物語っていました『何を余計な事ばかり言うのか、パンもろくに作れないくせに』要は異物扱いだった訳です。パン売りは黙ってパンだけ売ってりゃいい、です。様々な問題点は御座なりに捨て置かれたままでした。

○この地域の作物[黒米]の粉を使用したパンがとてもおいしかったので、さらにそこに合わせる副素材を考えていたら直感的にパンのアイデアが閃いたので、社長に直談判して試作の約束を取り付けました。こちらの商品はあと一歩のところまで行きましたが、最終的にはいつもと同じく、自分の力及ばないうちに作る側の熱が冷えきってしまうのでした。

残念な思いは募る一方で現場での孤立感は深まるばかり。
いつしか自分の理想のパン販売の形を夢想するに至っていました。『自分がこれと思うパンだけを集めて、自由に売る事ができたらどんなにいいだろうか』

そんな折、再びある声が投げ掛けられました。
今度のそれはある田舎町のおばあさんによるものでした。
そのおばあさんは数年前まで食堂を経営されていたのですが、ご主人を亡くされてから店をたたみ、それからは毎日界隈の猫達にご飯を食べさせながら自らも暮らし続けてこられたのでした。

澄んだ瞳が言います
「あんたの売りよるパンは自分の作ったもんじゃなかとやろ?」
返す言葉もなく声は続けられます。
「あんたが一生懸命頑張りよっとはわかる。でもねあんたちゃんと儲かりよるとね?このままずっとこがん事ば続けて生きていけるとね?」
グサリと胸を射ぬかれていました。
とにかくパンを一生懸命に売って行くしかないんだと常に自分に言い聞かせて何とかやっていたので、その本質をつく問いに何かを強く揺さぶられたのです。

それから程なくして、再び縁のある出会いをして、また生き方の方向性が変わっていきました。
勤めていたパン屋を約束の期限で辞めさせてもらう事にして、また新たな一歩を踏み出しました。

3、製造期(店舗)→31歳

ここから自分のパン遍歴の中で唯一の修行に近い日々を過ごす訳ですが、店舗での日々を知るのにはそのお店のブログ内に自分のコーナーがあって、日々の思いを自分なりに正直に綴ったような記録がありますので、興味のある方は是非そちらの方を覗いてみてください。
https://ameblo.jp/mercy-kitchen/

4、製造期(パン作り、バイト、芝居、3足のわらじ)

この時期は製造期における1番の暗黒期でした。

店舗での修了を経て独りでのパン作りを始めましたが、そこには明確な目標がなかった為に、何をどうすればいいのか、どこに向かって歩けばいいのか、先行きさえわからないまま歩いている感じでした。

それから、幸か不幸かその同時期に芝居の方でお誘いがあり、断る理由もなしと誘いを受けて、そこで重要な役を頂いたのでした。

パン作り、バイト、芝居と器用でもないのに3つの事を全て掛け持ちしました。何だか凄くいっぱいいっぱいな感じでした。
それでも3つの内のどれかひとつでも手応えが感じられるものがあったなら、また答えは違ったのかもしれません。
しかし、その時期の自分に限って言えば何1つ上手くいく事がありませんでした。

特にパン作りと芝居の役作りについては、やれば
やるほどドつぼにはまって、もがき苦しんでいる状況が続いて、それでもやるしかなくてまた続けて、そのうち自分が何をやりたいのか本当に全くわからなくなってしまいました。

結局日々増していく圧迫感を緩和する事すらかなわないまま、ある日全部どうでもよくなってしまい、そのままぶっ壊れました。

ここで一旦パン遍歴を区切ります。
というのも、この時期から再びパンを自分の記憶から抹消していたからです。

それからの出来事は→引きこもり→野垂れ死にを決意、失敗→3.11の震災と愛犬の死→自転車日本一周を決意。といった流れで過ぎていきました。
また自分の人生にパンが立ち現れたのは、日本一周旅を折り返そうとした時でした。

5、模索期→35~現在

自転車一周の旅のちょうど折り返し地点となる北海道に於いて、再びパンと出会う事になる。
とは言ってもそれはパンと直接関係のない、ごく間接的な人との出会いによって沸き上がった気持ち。

北海道の平取町というところにアイヌ文化を継承して、現代社会と共存している方がいらっしゃる。この方の存在を知ったのは、自分が好きな女性作家さんの挿話の中にお二人の交流が描かれていたからです。

北海道を離れようか迷った日にふらっと立ち寄った道の駅。何となくいい心地で昼寝をしてしまい、ほどなく目を覚まして半身を起こしたら、目の前を蝶が翔んでいた。
蝶はその作家さんの作品中で特別な存在であり、自分の中にもその印象が色濃く受け継がれていた。
蝶は少し距離を置いたまましばらく自分に纏わりつくように漂ってどこかに翔んでいった。
まどろみが醒めた瞬間『よし、会いに行こう』
と決めた。

この流れで書いてしまうと脱線しすぎる恐れがあるので一旦流れを戻してパン熱の再燃する出会いについて。

その方は唐突に訪れた流れ者を
「まあとにかくご飯を食べなさいよ」
と、豪快かつ快く受け入れて下さり、自分はその場所でひと月程滞在させていただきました。

滞在期間中はトマト農家さんとカボチャ農家さんを紹介していただいて、そこには自分と同じく滞在中の数人で出掛けていきました。そうして多国籍的な老若男女でともに働くという事は、何だかとても新鮮な体験でした。

中でも1番意気投合した青年がいました。年の頃は30歳、当時の自分より4つ程年下でした。
心の奥の方に対人恐怖症をしまい込んでいる自分にとっては意外な程に打ち解ける事ができました。
背がスラッと高く、日焼けした顔は浅黒く、顔つきは引き締まっていて、同性の自分からみても彼の魅力には惹き付けられるものがありました。
彼は何度もこの場所に滞在して、各地の巡礼の旅にも同行していたのです。

彼は馬が好きな人で、以前も牧場で働いていて、この先も機会があれば馬と働きたいと言っていました。

彼は好奇心の旺盛な人でもありました。
木彫りに、石集め、それからアイヌ文化の勉強。
その人間性とスケールは、旅の途中にふらっと立ち寄っただけの自分にはおよそ立ち及ばない領域でした。
それでも、仕事のない日には二人で少し車で出掛けて、破れかぶれのような歌をカラオケで歌いあったり、共通の関心事の映画について緩やかな時間の中で語りあった事などが印象的です。

そんな彼がある時夢を語ってくれました。
「自分は小さなコミュニティを作りたい、そこにいるそれぞれの人が自分のできる事をやって、それぞれが助け合って生きていけるようなそんなコミュニティ」
聞いたような話として、ただ他人事のように存在していたものが、語り口の助けを得て現実の色味を帯びた気がしました。
「もしその時にタイミングがあえば、まなぶ君にも力を貸して欲しい」

彼は本当のリーダーシップを兼ね備えた人だったのかもしれません。
『この人になら追いていってみたい、そこでなら何かをやれるかもしれない』
本当にそう思える事ができたのです。

そして[出会いは突然に]でした。
何の因果か再びパンというものと出会いました。驚く程抵抗なく自然に何かが沸き上がる感じでした。
『可能ならば、将来彼が長として築く場所で、自分はパンを焼いて暮らしてみたい』
ふつふつ気持ちが膨らみました。
本当に縁と因果は不思議なものです。

それからほどなく青年と別れを告げて、自転車一周の旅の続きを折り返して行きました。

そこから先の旅は日本半周パンの旅と相成りました。
太平洋側の各県を周り、時に働きながら、図書館でパンの本を漁り、移動中に色んなアイデアを蓄積しては、各県の色んなパン屋を訪ね歩きました。
その時、自分の中で1つの決め事をしていました。
本当に自分がこれだ!と思えるパンとお店に出会えたら、そこで修行しよう。と
そうでないなら自分でもう1度1からやってみるんだ。と

旅中の逸話をあげればきりがないので、
ここからは出会った
○印象深いお店
○衝撃だったパン
○影響を受けた本
を自分の感覚でなるだけ絞り込んで端的に紹介してみたいと思います。

自分で作るなら、あくまでオリジナルのパンをと考えていたので、天然酵母、自家製酵母に関する店を中心に、そうじゃなくても話題の店や気になる店には可能な限り足を運びました。

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○お店

[get well soon] 福島県棚倉町
宮城県から南へとパン屋を巡りはじめて、最初に印象を留めたパン屋がここでした。

このパン屋さんを訪れた時、そのドアを開けてとても懐かしい心地よい気持ちが甦りました。
ある一つの薫りが店内に満ちていたからです。
その薫りとはでっち奉公先のお店でいつも包まれていた酵母独特の薫りだったのです。

宮城県からここまでも天然酵母を売りにしたパン屋さんは数件訪れていましたが、その独特の薫りに出会う事はなかったんですね。気付かなかったという事はやはり他のパン屋にはその質のものが満ちていなかったんだと思われます。
ただし、後述するパン屋さんの中で酵母のパン屋としてやってらっしゃるお店には必ずその薫りが満ちていたので、その差は何なのでしょうね。その謎は具体的には未だ解けてません。

このお店の店主は自分より年上の女性の方でした。
淡々とされた印象が、自分には真摯なパン作りの姿勢の裏打ちに思えました。
それから、何より嬉しかったのは頂いたパンが力強く美味しいものだった事です。
天然酵母のパンに於いての、食感と味わいに妥協を許してないパンがそこにありました。

自分が心の師匠と仰ぐ人のパンも同じく妥協を許さない力強いパンだったのです。
この懐かしさの甦りと感動のダブルパンチは、おそらくその時の自分にしか感じ得ないものだったと思います。

★美味しかったパン→食パン、天然酵母のクロワッサン、バタールorバゲット

http://getwellsoon.jp/

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[ダヴィッドパン] 茨城県つくば市
フランスから移住されたマッテイ・ダヴィッドさんが、奥さんと二人でやられているお店。自家培養された酵母でのパン作りは、本場フランス仕込み。
パンの味わいはダヴィッドさんの人間がにじみ出たような優しくて味わい深いパンです。

それが証拠に、自分が最初に食べたパンは[コンプレ]というフランスパンタイプのものだったのですが(コンプレとは小麦全粒粉という意味)
固い食感のものだと思い込んで食べたそれは、『え?!何これ、これコンプレ?』というダジャレを心に引き出すとともに優しい感動を与えてくれました。

固いとは種類の違う、皮の歯切れ良さと内相のモッチリ感を持ち合わせた上に、全粒粉がえもいわれぬ味わいの深さをプラスしています。
独り座り込んだ河川敷で幸せの溜め息をもらしたのでした。
そして、何を思ったか、
次の瞬間に『タバコを辞める!』と決めました。
タバコ実はずっと吸ってたんです。
ただ、ダヴィッドパンに感動したこの今のタイミングを逃したら一生タバコは辞められない、そう思い込んだんですねぇ。

はい、それ以来キッパリタバコは辞めてます 笑

それから、旅から帰ってからの毎年、何気に年賀状のやりとりをさせていただいています。こんな自分にいつも丁寧に描かれた心温まる便りを毎年届けてくださいます (泣)

★美味しかったパン→コンプレ、バゲット、クロワッサン

https://davidpain.exblog.jp/i13/

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[かいじゅう屋] 東京都立川(当時は目白)
ここかいじゅう屋の店主橋本さんとの出会いなくして、今の自分のパン作りはありません。とは言っても実際お会いしたのはたったの一度きりですが 笑

かいじゅう屋を訪れたのは、東京に滞在して旅の資金を貯めている時でした。その時は手っ取り早くお金を得るために、日雇いの建築現場で働いていました。

事前に調べたところではかいじゅう屋さんは営業日が少ない上に人気だという事だったので予約の電話を入れました。
店に伺ったのは12月だったと記憶しています。自分の格好は仕事帰りの現場作業員そのものでした。

多少道を入り込んでいくと、何ともいいようのない、朴訥な造りの建物が現れました。それがかいじゅう屋の店舗でした。
カウンター越しに対応されたのは店主の奥さん。予約していた旨を伝えると、奥さんは奥にいらっしゃった店主に声をかけてくださいました。

実は電話予約の際、店主の橋本さんに、自転車旅をしている事とこれから自分でパン作りをしようと思っている事をそれとなく伝えていたのです。
橋本さんは[パンラボ]というパンのプロジェクトに参加されていて、自分はその書籍[パンラボ]を読んで橋本さんの存在を知ったのでした。

橋本さんは坊主頭に眼鏡をかけ、静けさと真摯さの同居した笑顔を持って、作業着姿の自分を奥の工房へ招き入れてくださいました。

短い間でしたが、そこで橋本さんと色んな話を出来た事は未だに自分にとって宝物です。橋本さんのおかげで、色んな事に打ちのめされても、挫折しそうになっても、何とか自分なりのパン作りを信じて続けてこられた訳ですから。

橋本さん自身、意外な程赤裸々に自分の過去の事を話してくださいました。
凄く胸をうたれた覚えがあります。

本当に不思議な魅力に溢れた人でした。静かであり、優しく、自然体。
ただその時、意志ある瞳を持って
『現在何か大きなものに立ち向かっている』
そんなニュアンスの事を呟かれていました。

自分は生まれてはじめて、パン屋を[カッコいい]と形容しました。

その時の橋本さんの最も印象的な言葉は
「恐さ、不安は毎日あって、それでも何とかやっている、パンを焼いている」

二人で話し込んでいる所に、奥さんが甘く暖かいカフェオレを持ってきてくださって、自分の方に軽く丁寧にお辞儀をして先に帰宅していかれました。

自転車旅を無事終えた報告の便りに、橋本さんから返信を頂いて
「僕は『自分に正直に。』ということを大切にしています。何をするにしても、最後は自分で判断し、決める。それが良いか悪いか。また成功か失敗かはあまり問題ではないのかもしれません。」こう記されていました。

★美味しかったパン→フランス食パン、チョコパン、木の実のパン

https://profile.ameba.jp/ameba/osono911

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[カミバン] 愛知県半田市
カミバンさんは今回記したパン屋さんの中で唯一、純粋に自転車移動途中に立ち寄ったお店でした。
だから、土地勘というものが全くなく、電話で予約を入れておいたものの、お店に到着したのはもう夕方頃でした。
お店のドアを開けると、酵母の薫りとパン焼きの薫りが溢れてきます。
『ああやっぱ良い感じ、心地ええわあ』などと深呼吸をしていると
「いらっしゃいませ♪」
何やらオシャレちっくな男性が奥の部屋からコチラへと。予約したことを伝えると喫茶スペースのようなところへ通されました。

彼はニコニコしながら、何やら飲み物をだしてくれました。
「チャイです、店主は今出かけておりますので、こちらを飲んでお待ち下さい」
チャイという飲み物を初めて頂いたのですが、その味わいの印象より男性のトークと外見が印象的で今もってチャイというものの味は定かではないです。

彼は店主のパートナーであり、奥の部屋の理髪スペースの理髪師でした。
外見が市川海老蔵さんに似ている感じで、その旨を伝えた上で、でも性格は似てないとか、実はごく最近市川海老蔵という人の人となりを見直したとか、他愛もない話で盛り上がっていると

「ただいま」
店主の女性が帰ってこられて、コチラに会釈されました。
彼が事情を告げられます。
「走っちゃってました…」店主の素直で素敵な苦笑いでした。

その後は、海老蔵さんネタで少し盛り上がって、それからパンの話、窯の話、二人の店の話を伺いました。

本当にお二人の関係性が絶妙なバランスで保たれていて、その事がとても快く感じられて
『こんな関係っていいなぁ』としみじみ思ってました。
次の日、移動途中の公衆電話から電話を入れました。
食べたどのパンにも石窯の風味が焼き付いていて、しっかりした味わいのパン生地に更なる力を加えていた。電話ごしに熱っぽく力弁したら、店主はとても喜んでくれました。

だから、いつも自分は、感動したら、それを可能な限りそのまま伝えることを、自分に決めています。

★美味しかったパン→食パン、くるみパン、ちょこのパン

http://camiabne.com/

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[フロイン堂] 兵庫県東灘区
このお店はパン好きな人の、知る人ぞ知る老舗のパン屋さんです。東京滞在中に知りあった方から教えて頂いていて、丁度神戸でも滞在期間を設けたので早速足を伸ばしました。
ここではまずパンの感想を述べたいと思います。

1番有名と思われる山型食パン。天然酵母でなく、イースト。ミキサーでなく、手捏ね。軽いのに、軽くない。ザ・シンプルでした。理屈抜きに旨いと思った。

食パンに比べたら新しい商品らしいバゲット。
こちらは逆にイーストでなく、自家製酵母。この自家製酵母は、3代目が新たに初められた領域。
香ばしく主張する歯ごたえのある皮部分と味わいのある内相。続けざま酵母の薫りがコーティングされていく。こちらは理屈を解った方がより旨い 笑

こちらのお店は神戸滞在中、2度訪れました。
1度目は、二代目と少しだけ話をさせていただきました。
2度目は、3代目と話をさせていただき、パンの感想と感動をお伝えしたら、奥の工房に招かれて、窯のスペースを見学させてくださいました。
その空間には、時間の経過による威厳のようなものが漂っていました。
そこで穏やかに語られる3代目の意気込みは確かにそのパンに宿っている気がしました。

旅を終えて買ったパンの本の中に、フロイン堂2代目の言葉がありました。
「こっちが一生懸命になれば、パンも一生懸命になってくれる。いい加減なことをやっていると、パンもいい加減になる。」

然りでした。

★美味しかったパン→山型食パン、バゲット、カンパーニュ

https://m.facebook.com/pages/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%A0%82/152324438129628

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[P&B] 大阪府大阪市西区
ここP&Bは自分が旅中愛読していた本[パンラボ]のブログバージョンに紹介されていたのを見つけたのが始まりです。

その記事の中で1番自分を惹き付けたものが『修行をしていない』という一事でした。
自分が辿るかもしれない『修行をせずにパン屋をやっていく』という事。果たしてそれがどういう風に成立しうるのか、未だ実際的にそれを検証した試しがなかったので、とても興奮しました。

そして、すぐ店に行きました。
店は小ぢんまりしていましたが、その趣は自分の好きなものでした。店の客は自分1人で、カウンター越しには1人の女性と1人の男性がいらっしゃいました。
男性の方が店主の高橋さんで女性の方が店主の奥さんでした。奥さんは事前の電話予約の折りに交わしたやり取りがとても心地よいものだった記憶があって、実際の姿を目の当たりにしてそれはすぐ腑に落ちました。

奥に控えてパンの製造作業をされていた店主の高橋さんも自分の話を聞くなり、身を乗り出すようにして自らの経験上の話をしてくださいました。
何だかここで今思い出したのですが(この記事を書いている今)自分はパートナーの人達がそれぞれに良い案配にバランスを取り合っているのに触れるのが好きみたいです。どうでもいい事ですが、大事な事のような気もします。
パンを買った後ですぐ、近所のネットカフェでパンを食べました。

食パンもバゲットもライ麦パンも、明らかに自分の予想を上回るクオリティでした。何だか胸が震えたのを覚えています。修行していないパン屋さんのパンを食べて、自分が感動するなんて思いもよらなかったんですね。自分が辿る道かもしれないというのにです 笑

お店には、神戸を離れる少し前に再訪して、パンの感動を伝えて今後の自分の道行きなどを話しました。高橋さんがくれたアドバイスはその後、確かな形で自分のパン作りを支えてくれました。
「まずは少なくていいから、自分がこれを作りたい!と、自分でちゃんとわかるパンだけを作った方がいい。それを作れたら後は何とかなる」
その言葉が、その時の自分とその後の道行きの自分にとってどんなに心強いものだったか。

それから
最初に店を訪れた時には知らなくて、再訪した時にはその魅力に開眼していたパンがありました。
そのパンの名前は[カンパーニュ]
再訪した折り、話も終盤に差し掛かった頃に、話がカンパーニュの方に流れていって、実はこの店にもカンパーニュがあって、高橋さんもカンパーニュには思い入れがあると話されたのでした。
物凄く味わってみたくて、口惜しい思いを口にしましたが、高橋さんが楽しみは後にとっておこう、とサラッと言ってくれて、自分もなるほどそうかと納得した次第でした。

それ以来店を訪れる事は叶っておらず、件のカンパーニュも未だ未食のままなのです。

★美味しかったパン→P&B食パン、バゲットトラディショナル、ライ麦パン

http://panlabo.jugem.jp/?eid=1341

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おそらく巡り巡ったパン屋の数は100件を越えています。
その中には、極めて口に美味しい、極めてハイセンス、そんなような店がいくつも点在していました。
特にその傾向は関東圏のパン屋に顕著でした。

ただ、自分の触覚に依ればそういった要素にはたいした魅力を感じないらしく、大体はすぐにそのパン屋の存在は記憶の隅へと追いやられて行ったようです。

関西圏のパン屋(特に大阪、京都、神戸)は、パン自体に作り手の個性が沁み出している事が多くて、その事自体は自分の好奇心を増幅してくれたし、アイデアを考える事を自由にしてくれた感がありました。

それでも自分が1つルールとして定めていた、ここだ!というパン屋に出会ったら、ちゃんと修行しようという思い。結局そこに到達するまでの出会いはなかったという事になります。(お相手の状況を考慮して諦めたパターンはありますが)

ですので、おそらくは関西圏滞在中に、もう自分で自分のパンを作っていくんだと概ね心に決めていたのだと思われます。

ただ唯一の例外はあって、
もしも旅中に出会っていたら、確実に修行を願い出ただろうと思われるパン屋さんが、実は存在しますが、その事は中、後編あたりで記述することになると思います。

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○パン

見知らぬパンと出会う事は何より増して、自分を活性化させる行為でした。本当に色んなパンに出会いました。その度に何かを塗り替えていきました。

ここではその中でも1番影響の大きかった
[カンパーニュ]というパン。
その存在を知るという事において、外す事のできない二軒のお店のカンパーニュを記します。

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《パン・グロ・ベル・エポック》
大阪の有名店ル・シュクレクールのカンパーニュ ※現在は製造されてない

自分をカンパーニュの魅力に開眼させたのはこのパンでした。

《ありそうでない唯一感のカンパーニュ。
ワイルドであり、バランスがあり、粉の味は濃く、酸味は程よい。
強い香ばしさの源は分厚く焼きの強いガリゴリ皮。
でも歯切れは良くて、口どけの食感は他に例えようのないもの。
本当に突き抜けた印象のカンパーニュ。》
当時のメモから抜粋。

本当に衝撃でした。まるで、今までのパンとは全く異質のものに出会ってしまった感じ。最高に興奮しました。

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《ラトゥル ド ミワ》こちらも大阪の有名店パリアッシュのカンパーニュの一種

ミワというのは女性の名前。
実は自分のオリジナルのパンも8割がたは人物をモデルにしています。

自分は当然そのミワという女性を知りません。それでもそのパンには何故か女性を彷彿させるようなしなやかさと艶がありました。
シュクレクールのそれとは全く対極にあるものでしたが、それ故にまた強く惹かれました。

おそらく、自分が人物をモデルにしたパンを作っていこうと思った、大元のきっかけはこのパンにあったのだと思われます。

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知らなかったものを知るという行為。
その先で出会ったものに更なる好奇心の翼を開いてもらう。
意識や行動までを変える力を内包している。

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○本
自転車旅をパン巡りの旅として折り返すにあたり、まだ初期段階のうちで出会えた2つの本がありました。この2つの本によって、間違いなく自分の意識と感覚は変容したように思います。

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[生き抜いて命のパンを作って-銀嶺パン 大橋雄二の物語]
https://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%AC%E3%81%84%E3%81%A6%E5%91%BD%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E2%80%95%E9%8A%80%E5%B6%BA%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E9%9B%84%E4%BA%8C%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-%E5%A4%A7%E6%A9%8B-%E5%BA%B7%E5%AD%90/dp/4259546902

この本との出会いは本当に偶然というか、不思議な縁によるものでした。

旅中、福島県棚倉町を訪れたのは、上記したパン屋[get well soon]に立ち寄る為でした。
ところが、訪れた日店は急な休みとなっていて、次にいつ開くのか定かでない感じでした。

仕方がないので、町内からやや離れたキャンプ場での滞在予定を決めてお店の開店日を待つことにしました。
1番最初に訪れたのが、その棚倉町の図書館でした。

小綺麗な空間に好意を抱いて、滞在中は基本ここで時間を潰すことに決めました。
何を読もうか考えるともなく、自分の足は《パンの本》のコーナーへ向かっていました。

そして驚きました。パンの本がたったの2冊しかないのです。
[世界のパン事典][銀嶺パン 大橋雄二……]
2冊とも手にとって読書スペースに腰を下ろしました。

[銀嶺パン 大橋雄二……]の方を選んで読書を始めます。1時間、2時間と経過していき
そのうち読み終わった本をたたんで、喫煙スペースに向かいおもむろにタバコに火を付けました。タバコの煙りを大きく吐ききります。その胸のうちはうち震えていました。

そして、こうして今これを記している自分も少し胸がうち震えています。

その本の中の印象的だった言葉を、当時ノートに書き残していたものから抜粋

●「最初から100%は求めない」少しでも理想に近いものを見つけたら、それに集中して近づけていく。
「周囲からは訳のわからないことをやっている」と見えるかもしれません。でも目標に向かって進む「方向軸」それが非常に大事だと思います。
「方向軸を定めて、理想と現実のギャップをひとつ、ひとつ埋めていく作業を大切にしていく」

●「実現したい思いゆえに、自分も精一杯がんばります、と自分に約束すること。自分だけの力では目標を達成できない。色々な人の力を借りなければ次のステージにはいけない。達成するために、最後のところで力を貸してくださいと祈る。そして、もたらされた恵みに感謝する」

●「親孝行するのと同じように、伝統や気候風土や、自分を育んでくれたものに対して何かを返さなくてはいけないという思い。食べ物を大切にすること、食文化を復興することが心の復興につながる」

●「パンを追求するのは、自分が幸せになりたいと泣く赤ん坊の本能のようなものではないか。だから己に対しても、食べ物に対しても素のままの姿を見つめ、そのものが本来もつ力を引き出せる」

●「パンをとおして心は伝わる。パンにやさしさやぬくもりをこめる。心がパンをとおして食べてくれた人に伝わり、その人たちの心と共振していく。パンをとおして、まだ見ぬ人の気持ちが動いた時にそれは大きな力になる」

●「日本独自の豊かな文化は都市型ではなく、山裾にある土地の文化が基本。山裾は山と平野が交わる地。山の幸と平野の幸に恵まれた資源の密度が豊かな場所」

●「噛むことの大切さ」唾液の中にはデンプン分解酵素があり、穀物をよく噛むとデンプンが糖に分解されて甘くなってくる。人間が栄養を取り込むためには、噛まなくてはならないことの必然性、人間の身体はそういう風につくられている」

●「発想の転換」障害イコール不幸ではないように、見た目や表向きにとらわれず、本質の部分を活かしていく

●「一度死んだものに、命を吹き込み蘇生させる」

●「作る人がパンそのもの」パンをとおして作る人の気持ちがストレートに伝わる。

●「昔からある土地に根ざしたものを軸にすえ、その価値を再発見する。土地の恵みを使ったパンを作り、そこに新しい命が芽生える。人と人とを結び付け、その地域に根ざした価値を掘り起こす役割を果たす」

上に抜粋したほとんどの言葉が、その時から現在までの歳月の色んな瞬間に於いて、自分を支え続けてくれたものでした。

旅から帰還してノートを見返した時以来の、その言葉達との再会でした。
真摯に込められた言葉と言葉を信じる力には継続が宿る。我ながら驚きと感慨を抱いています。

終わりにもうひとつ、本の中でとりわけ素敵な文章があったのでこれも記しておきます。

●「断崖絶壁に立っても、足をすくませることなく、楽しくStepを踏んで歌っている」

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[パンラボ]
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%9C-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/486191857X 「パン欲」
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%81%96%E5%9C%B0%E3%82%92%E6%97%85%E3%81%99%E3%82%8B-%E3%83%91%E3%83%B3%E6%AC%B2-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E6%B5%A9%E6%98%8E/dp/4418132341

前述の本が旅から現在までの自分を精神的に一本の力で支えてくれた存在とすると、この2冊の本は身体的というか実際的にというか、感覚と認識の翼を開かせてくれた存在と言えます。

まず、この本に描かれたパン屋さんのイメージが今までのパン本と全く違うものでした。自分にとっては初めてフィット感を感じれたパン本でした。
自分が知りたい事寄りの情報が記載されていたため、パン屋を巡る際もこの本から弾き出したアプローチにはほとんど間違いがありませんでした。
この本のおかげで色んなパンを知りたい、色んなパン屋を知りたいと、自由な好奇心を発揮できた気がします。

それから、もうひとつ大事なものをこの本を通じて吸収させてもらった気がします。
それは《味覚の表現》という事です。
この本の中でパンの味を表現される時には、一般的な表現はあまり用いられません。

「麦のスープを口に含んだような、よろこびに襲われる」

「非常に繊細でクリアな小麦の甘味」

「やがてすばらしくのびてくる小麦の味わいがなつかしい。舌の周辺は唾液で濡れそぼっている。本能がうまいと感じた証拠である。」

「そこへじんわりとオレンジの芳香と酸味が訪れ、視界を橙色に染めていく。その速度の遅さ、まったり感が、単なる相性のよさを超えて、エロティシズムに達する。」

んな阿呆な。と笑い飛ばされる方も多いかと存じます。
確かに笑い飛ばした時点でそれはお馬鹿な表現として息の根を止めるでしょう。

ただ万が一その表現を真に受けてしまって、その表現を得る為に実践を繰り返すとしたら、その時初めて味覚の翼が広がるんだと思います。

信じなければ、確かにそんな領域の味覚は存在しない。
信じれば、確かにその味覚の領域は、姿を現してくれるはず。

「パンラボ」「パン欲」の2つの本は、自分のパンの味の追求に於いて、無くてはならない大事なものをプレゼントしてくれていた。
今振り返ってそう思いました 笑

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旅から帰ると、すぐにメモなどから散らばった情報をノートにまとめて自分のパンの試作を始めました。
前回の模索中には信じられない程、アイデアが湧いてきて、確かめる必要のある事、その為に必要なアプローチ、どういう順序で思い描くパンに近づけていくか、そうした流れを自然に組み立てようとしている自分がいました。不安は当然あった訳ですが、前回のように先が見えず対処のしようのない何かは、ほとんど存在していませんでした。

あまりにも長くなりましたので、わきみち堂って何?前編はここで一旦締めさせて頂きます。
試作期間の事も記したかったのですが、自分でもここら辺が潮時と存じましたので悪しからずです。

試作期間の話は、改めてオリジナルのパンを紹介する回にうまく挿入できればと思っています。

本当に長々とお付き合いありがとうございました!!

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