見出し画像

アンビバレントな感情

日経新聞『賃金水準、世界に劣後 脱せるか「貧者のサイクル」』という記事が目に止まりました。

(以下、記事からの抜粋です)
日本の賃金が世界で大きく取り残されている。ここ数年は一律のベースアップが復活しているとはいえ、過去20年間の時給をみると日本は9%減り、主要国で唯一のマイナス。国際競争力の維持を理由に賃金を抑えてきたため、欧米に劣後した。低賃金を温存するから生産性の低い仕事の効率化が進まない。付加価値の高い仕事への転換も遅れ、賃金が上がらない。「貧者のサイクル」を抜け出せるか。(以上、日経からの記事でした)

この記事を見て、ある映画のことを思い出しました。『ブレードランナー』です。

この映画に僕はいつもアンビバレント(相反する感情が同時に存在するさま)な感情を覚えます。
あの映画で描かれる雰囲気が好きなのに、同時に、暗くドロっとした質感で表現されている未来が、どうもあまり好きにはなれない。なのに、なんだか惹かれる……。そんな気持ちが僕の中で渦巻いています。
そこにはSF映画で描かれる未来というものが、実際の未来にはならない、あるいは、なって欲しくないという感情もあったのだと思います。

ですが、2020年を前にして、意外とあの感じは的外れではなかったのではないか、と思えてきました。

映像で表現された、ドロっとしたような街並みに日本の都市がなっていく、という外観的な話ではなく、むしろ、あの映画は、来たるべき世界(つまり、今現在の世界)の『内面』を映像化した作品なのでは、と思えるのです。

お金はないけれど、今現在の社会構造の中では、贅沢をしなければ生きていける。スマートフォン、ゲーム、そこに入っていけば、もしかしたら『生きているというストレス』を一瞬でも忘れられるかもしれない……。そんなことを考えて生きている人も少なくないかもしれない。
実はテクノロジーが発達することにより豊かになるどころか、世間での強者がさらに強くなるだけかもしれない、そう考える人もいるでしょう。

テクノロジーの進化、進歩というところには、これまたアンビバレントなものが僕にはあります。肯定的であり否定的でもある。

しかし、それはさて置き、例えば音楽にできることというのは何かあるのだろうか、と考えます。
ロックスターが世の中を変えた、ということが果たして本当にあったのか、それとも幻想だったのか。そのこととは別に、好きな音楽を聴くということは、どうやら癒しにはなるらしい。(人によってはそうかもしれませんが)『癒し系』をうたったものが、そうというわけではもちろんなく、ノイズ系でも、メタルでも、好きなものが良き効果を与えるというのは音楽の場合にも当てはまります。音叉の音、あるいは電車の音に癒されるという人もいるでしょうし、電気グルーヴの音楽に癒されて人もいると思います。電気グルーヴの音楽が配信できないのでしたら、ビートルズも配信できないということになります。もちろん薬物は駄目だと思っていますし、基本的には薬物を使って作るということを否定したフランク・ザッパを僕は支持しますが、それでも世の中に生まれた作品に癒される人たちも沢山いるはずです。完全な親から生まれた完全な子たち、なんているのでしょうか。品行方正という言葉が度を越すと下品なものに思えます。
一体どこの誰が何を裁いているのかさっぱりわかりません。彼らは神のつもりなのか。しかし、その『彼ら』もどうやら姿形はわかりません。無色透明な『空気』、というものなのでしょうか。

アンビバレントな思いというものはこれからも尽きることはないと思いますが、(人から聞いた話を)大きな声で自信満々に語る声にではなく、小さな声でも、その人自身の頭で、そして心で考えて発せられた声に、これからも耳を傾けていきたいなと、個人的には思います。

ええと、いろいろ書きましたが、一度リセットさせていただいて……(笑)

本日は、ヴァイオリンとチェロ、ピアノのための『color No. 2』をアップいたしました。
https://youtu.be/4D5D8Oj3R3o

以前、上野の東京文化会館の小ホールで初演されたものです。

もう一曲は『kibou』という曲で、生配信をしているときに即興で生まれた曲です。

https://youtu.be/guW1BculaNg

よろしかったらお聴きください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?