見出し画像

あいちトリエンナーレ2019写真日記③

10/4金[前回からの続き、最終回です]
 愛知芸術センターから名古屋市美術館へ移動した。18時過ぎに着き作品を観る。
それぞれの作家の視点が面白い。自分にはないものであればあるほどそう感じる。展示を見終わったのは20時の閉館時間ギリギリだった。

10/5(土)
 表現の不自由展が再開される話は、今回のスケジュールを押さえた後でニュースとして僕の耳に入ってきた。何だか複雑な気分ではあったが、スケジュールは変えられないのは明白だったので、今回4、5日で見られる作品を見ようと決めて愛知に来たのだった。
 豊田市に朝から移動、豊田市美術館へと向かう。あいちトリエンナーレ2019はいくつかの場所で開催されているが、豊田市美術館もその一つだ。もの凄い人が並んでいるといると思ったらクリムト展に並ぶお客さんだった。東京で行ったが、おそらく巡回しているのだろう。

 沢山の展示がある中、鑑賞者が輪になって寝転がって観る作品、スタジオ・ドリフトの「Shylight」が異彩を放っていた。

 お互いを知らない人同士がすぐ近くに横になって、上に吊るされた作品を鑑賞するという図が、なんだか微笑ましい。この作品は、植物の花や葉が光量や温度にあわせて開閉する、就眠運動と呼ばれる動きを詳細に観察・解析して設計されているのだそうだ。
 作品の美しさに目が行く一方で、元々ある自然界にあるものの形、色が本当に美しいことに気づかされる。この作品を鑑賞してから建物の外に出て、地球に既に存在するものが本当に美しいことを再確認したような気持ちだった。
 アートによってもたらされる気づきは全く新しいものだけではなく、むしろもっと根本的な大事なものだったりする。
 
 その日は豊田スタジアムでラグビーのワールドカップの日本対サモア戦があることもあり、昼間から日本チームのユニフォームを着た人たちが多かった。昼食を済ませ、まだ行っていない展示の場所に行った。
 喜楽亭のことは全く知らなかった。戦争末期に沖縄の米軍艦隊に突撃した神風特別攻撃隊の草薙隊が宿泊したことで有名な施設で、戦争に纏わる映像作品が流れていた。鑑賞希望者が沢山いるので、順番待ちだった。

 ホー・ツーニェン「旅館アポリア」は手紙形式をベースに、小津安二郎の映画や戦争のアニメーションをコラージュした作品だ。そのコラージュされた作品の人物たちの顔はない。その顔の無さが、その意味をこちらに問いかけてくるように思える。
 横山隆一の「ジャカルタ紀」が彼の記念館には置かれていません、というナレーションが耳に今でも残っている。

 愛知芸術センターでも、名古屋市美術館でもやはり目に入るのが、『展示一時中止(展示内容の変更)』である。
それらの作品はアーティスト当初が意図していたものとは違う形で存在していた。それがまた一つの表現となっているように思える作品もあったが、本来だったらどのように展示されたのかを考えてしまう。

 表現の不自由展が取りやめになったことで、それに対し反応し、見られるはずだった作品が形を変えて、あるいは全く見られなくなった作品もある。
 何が正しいか、正しくないか。それは人の数だけ沢山存在するだろう。
 今回の件は、現在の日本の人々がどんなことを考えているのか、ということを確認する機会となった。
 様々なことが隠されているより、浮き彫りになった方が良いと思う。
 アートの話というよりは、個人個人が考える「正しさ」と「正しさ」のぶつかり合いにも思える。
 今回、メディアが来ていたが、クローズアップするのは表現の不自由展に纏わるコーナーのみのように見え、非常にしらけた気持ちになった。ジャーナリズム産業、という言葉が浮かぶ。産業なんだな、と思う。放送局に関して言えば総務省の管轄下にあるという構造的欠陥を解決しない限り、放送の独立性はないだろう。
 つまり、保守系に見えるメディアも左翼系だと言われるメディアも、結局は基本的にはそれほど変わらないということになる。いろんな意見はあると思うが、僕はいつもそんな感じで見ている。しかし、例えば野党もそこには踏み込まない。彼らには彼らの中でしがらみがあるのだろう。

 何かを発言して終わりではなく、対話を続ける姿勢というのが人間には重要なのだと思う。
 そして、対話ができなくなった社会は遅かれ早かれ沈んでいく運命から逃れられないように思う。それはどこの国でもそうだし、国と国の関係もそうだろう。

 豊田市駅前で最後に見たトモトシさんの「Dig Your Dreams.」という作品(この作品は見てもらわないと説明がなかなか難しいのだが、可笑しくて思わず笑ってしまう類いの展示だった。子供が拾ってくるものに対して大人が「これは縄文のものですね〜!」と言っていたのが忘れられない)のスペースで、ボランティアの方が笑みを浮かべながら言っていた言葉を思い出す。
「他のがかなり責めた展示なので、まあ、また良かったら来てください」

 これからの日本で開かれる現代アートの場がどんな感じになるのか、引き続き見ていきたいと思う。
(終わり)
[引用・参考資料]あいちトリエンナーレ2019公式アプリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?